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弘法大師(空海)と高野山 2 

弘法大師(空海)と高野山 (その2)
(四国別格霊場第六番 龍光院に立つ大師像)
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四国霊場八十八ヵ所を回り終えたお遍路さん高野山へ参拝する。
本堂である金剛峯寺にも参拝するが、お遍路さんの目的(?)は
奥の院弘法大師御廟)である。
真言宗では、弘法大師が他界されたことを入滅・入寂とは言わず
「入定(にゅうじょう)された」という。
これは、「大師は亡くなられたのではなく、大日如来の世界に
帰一されて生きつづけており、衆生を救ってくださる。」という
信仰によりものである。ゆえに、お遍路さんは大師が入定された
高野山奥の院」に大師を慕い参拝するのである。
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一の橋から奥の院弘法大師御廟」の間には墓原が広がる。
ここには、たくさんの墓碑が林立し、その墓域を彩る人物も多彩である。
ここに宗派を問わずおびただしい墓が営まれることになったのは、
この山が弥勒菩薩の下生の地と広く信じられたことによるという。
釈迦入滅後56億7000万年後に現れ衆生を救うという弥勒菩薩が
下りてくる地が高野山だということは、弘法大師も「御遺告」の中で
言明している。そのため人々は死後もその救済にあずかろうとして
ここ高野山に墓所を設けることに努めた。
戦国時代以降この傾向は特に加速を見る。
それは、常に死と向かい合っている戦国大名たちが、高野山
信仰を寄せ、死後の菩提を祈念しようとしたからである。
また、秀吉や徳川幕府などの時の権力者たちが、高野山を
あつく保護したことが、高野山の霊性を高めた。
江戸時代には幕府が21000石の寺領を認め、外護を明確にしたので
山内には大小の塔堂が建ち、それぞれに各地の大名家と関係を持ち
繁栄したという。
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弘法大師入定信仰
空海(弘法大師)は生前、密厳浄土と即身成仏を説いた。
また、空海は密教の理解と実践において、いかなる人物の
追随をゆるさない卓越した第一人者であった。
そのため、空海が没した時「空海は、見事即身成仏をとげた」
という信仰が生じたといえる。
繰り返すが、即身成仏は死ではない。生きながら仏になることである。
だから空海は死んだのではなく、今なお生きて永遠の禅定に入り、
衆生を見守り続けている。と弟子たちや信者はそう信じた。
このようにして成立した空海の入定信仰は、高野山の教義の
一大特色をなしており、山内では現在でも弘法大師御廟の前に
毎日、食事やお茶をお供えしている。
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にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました