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醍醐寺 三宝院 

醍醐寺 三宝院(だいごじ さんぽういん)
桃山時代にタイムスリップ?!
●宗派/真言宗醍醐派(修験道当山派本山)
●京都市伏見区醍醐東大路町22
醍醐寺三宝院-大玄関
三宝院は醍醐寺の塔頭であり、永久2年(1115)醍醐寺第14世
座主勝覚僧正により創建。
醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊。
応仁の乱で焼失したが、慶長3年(1598)豊臣秀吉の援助で再興。
その豪華さは、秀吉の力と桃山時代をしのばせる。
醍醐寺三宝院-唐門
(写真は国宝・唐門)

襖絵に彩られた葵の間、勅使の間(重要文化財)に続く表書院は
国宝に指定されている。その奥の純浄観(重要文化財)は秀吉
大観桜宴を催した時、醍醐寺境内に建てられたものを移築したもの。
そして、豪壮雄大な庭園は、秀吉が「醍醐の花見」に際して
自ら基本設計したものであり、今も桃山時代の華やかな雰囲気を
伝えている。残念なことに、建物内に一歩でも入ったなら、写真
撮影はすべて禁止なので紹介することができない。またこの庭は、
日本でも7ヵ所しかない特別史跡・特別名勝になっている。
醍醐寺全体が世界遺産にも指定されている。
醍醐寺三宝院-松
(写真は玄関口の松)

noukyou-三宝院  ●三宝院のご朱印

※一口メモ/藤戸石(ふじとせき)
庭の中心に位置し、阿弥陀三尊を表している。
この石にまつわる話が残っている。
源平合戦で源氏方の佐々木盛綱が、海の浅瀬を漁師から教わり、
浅瀬を渡り平家を追い落としたが、情報が漏れるのをおそれ、
その漁師を切り殺した。それがこの藤戸石の上だったといわれる。
余談だが、この話は能として語り継がれている。
戦乱時、武士に蹂躙された庶民の悲しみを伝える話だが、武家社会
では、一番乗りを果たした盛綱の栄光を伝える話となる。
そして「藤戸石」は天下の名石として語り継がれるようになった。
その後、藤戸石は足利義政の東山殿におかれ、その後室町後期に
実権を握っていた細川管領邸に置かれ、時を経て織田信長が、
二条御所に移設した。豊臣秀吉の時代には、聚楽第に移され、
造営中だった醍醐寺三宝院の主人石とした。
秀吉がこの石を眺めたという席には座れないが、前の廊下に座って
この石を眺めて天下取りの気持ちに少しだけなってみた。
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にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました