admin≫

千本釈迦堂 

千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)
sennbonn-1.jpg
正式名は「大報恩寺(だいほうおんじ)」
寺の歴史は古く、鎌倉時代の中期の貞応二年(1223)に、
求法義空上人が釈迦念仏の道場として釈迦如来像、十大弟子像を
安置したのが始まりと伝えられている。
本尊の釈迦如来にちなんで釈迦堂と呼ばれるが、嵯峨釈迦堂(清涼寺)と
区別するため千本釈迦堂と呼ばれる。
この千本とは、近くを南北に走る千本通りを指すが、その由来は
定かではなく、大路の両側に立ち並んだ千本の卒塔婆だとか、
千本の桜とも、千本の松並木が連なっていたかだとか諸説ある。

千本釈迦堂は「おかめ塚」の話が伝わる寺としても有名!
sennbonn-2.jpg
義空上人が大報恩寺の本堂を建立するにあたり、名大工として
名声を馳せていた長井飛騨守高次を総棟梁に選んだ。
高次は、本堂を支える大事な柱の内の一本を短く切り落として
しまいました。途方に暮れる高次に、妻の阿亀(おかめ)が
「柱を短く揃え、桝組(ますぐみ)を入れて高さを合わせれば・・・」と
アドバイスし、高次は無事本堂建築の大任を果たすことができました。
しかし、おかめは「女の知恵を借りて完成させたと言われては
主人の恥になる」と本堂の完成を待たずに自害してしまいました。
高次は上棟の日、妻の冥福とお堂の無事を祈って、おかめの面を
御幣につけて飾ったと言われています。
この話を伝え聞いた人々が、貞淑で如才に長けた「おかめ」の
菩提を弔うために境内に「おかめ供養塔」を建立したという。
今でも大工の信仰を集め、上棟式には「お多福の面」をつけた
御幣が飾られるようになったと伝えられる。

この本堂は、応仁の乱、大永の乱、享保の大火でも、その戦禍、
災難を免れ、市内の寺院としては最も古い本堂となっている。
国宝に指定され、柱には応仁の乱の槍や刀傷が残る。
また、12月7・8日に振る舞われる大根炊きは有名。
スポンサーサイト


この記事へのコメント

この記事へコメントする














(△お好みの文字サイズになるまでクリックしてください)

にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました