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松山城4 

松山城4
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松山城歴代の城主
●慶長8年(1603)10月、前年より工事に着手していた城郭に
松山城の創設者、加藤嘉明が正木城(松前)より移る。禄高20万石。
工事はその後も続き、寛永4年(1627)になってようやく一応完成。
しかし完成直前の寛永4年2月会津40万石に転封。(居城年25年)

蒲生氏郷の孫・忠知が出羽国(山形県)上の山城より移封。
二の丸の築造を完成したが、寛永11年8月参勤交代の途中
京都で病死。嗣子がなく断絶。(居城年7年)禄高24万石。

●寛永12年(1635)7月伊勢国(三重県)桑名城主・松平定行
転封。(徳川家康の異父同母弟・松平定勝の子)禄高15万石。
寛永16年(1639)から3年の年月をかけ、築城当時五重であった天守を
三重に改築。以後200余年にわたって松平家が居城。
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9代定国の天明4年(1784)元旦、落雷により天守焼失。
焼失後37年を経た文政3年、11代定通が天守再建工事に着手。
着工16年、定通の逝去と作業場の火災により頓挫。
弘化4年(1847)12代勝喜が城郭復興に着手。安政元年(1854)
天守が復興した。これが現存の天守。
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にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
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四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました