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現存12天守(その5) 備中松山城 

備中松山城(びっちゅう まつやまじょう)
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岡山県高梁市街の北端にそびえる臥牛山(標高約480m)
北から「大松山」・「天神の丸」・「小松山」・「前山」の四つの峰からなり
南から見た形が、草の上に伏した老牛の姿に似ているので
「老牛伏草山」とか「臥牛山」などと呼ばれている。
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備中松山城はこの内の小松山の山頂(標高430m)を中心に築かれた
城郭で、天守の現存する山城としては随一の高さを誇る。
この高さのおかげで、明治時代の廃藩置県の時に取り壊しを免れたという。
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城内には天守をはじめ、二重櫓、土塀の一部が現存し
昭和16年には国宝(昭和25年の文化財保護法の制定により
重要文化財)に指定された。
平成9年には重要文化財を中心に、本丸南御門、東御門、
腕木御門、路地門、五の平櫓、六の平櫓土塀などを史実に
基づいて復元。
平成15年には、傷みが進んだ天守の保存修理が行われた。
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この城の歴史は古く、鎌倉時代に有漢郷(うかんのごう)の地頭に
任ぜられた「秋庭三郎重信」(あきばさぶろうしげのぶ)により
臥牛山のうちの大松山に砦が築かれたことに始まる。
その後、小松山に移り、城の縄張りは時代とともに変化するが
天正二年(1574)に起こった「備中兵乱」時は、「砦二十一丸」と呼ばれた
出丸が築かれていたことが記録に残っており、臥牛山全域が
一大要塞となっていたことがうかがえる。
当時の城主の三村氏が滅んだ後も、毛利氏の東方進出の拠点として、
毛利氏が防長二国に退いてからも、備中国奉行の小堀正次・政一
父子により修改築がなされるなど、備中の要衝としての役割を担っていた。
江戸時代に入ると目まぐるしく城主が変わったが、現存する天守などは
天和三年(1683)水谷勝宗(みずのやかつむね)により
修築されたものと伝えられている。

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城見橋公園駐車場からシャトルバスが出ていて、ふいご峠の
駐車場まで行ける。(たぶんバスは休日のみだと思う)
ここから、石段と山道が続く。15分~20分歩くと到着。
ここから見る高梁市街の眺望も素晴らしい!
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余談だが、「山田洋二」監督はこの高梁の町並みや風景が気に入り
有名な映画「男はつらいよ」シリーズの舞台に、二度も登場させている。




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にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました