四国霊場八十八ヵ所
四国(霊場)は弘法大師と心を通わせる聖地! 四国が誇る文化遺産四国霊場八十八ヵ所を紹介! でもあまり難しく考えずにお気軽に・・・。
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石光山 石山寺
石山寺(いしやまでら)

石山寺は琵琶湖の南端に位置し、
琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。
国指定天然記念物の硅灰石の巨大な岩盤の上に立ち、
これが寺名の由来ともなっている。

●本尊/如意輪観音
●宗派/東寺真言宗 ●開基/良弁(勅願・聖武天皇)
天平19年(747)に聖武天皇の発願により、
良弁(ろうべん、東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった
如意輪観音を祀ったのがこの寺の初めとされる。
聖武天皇は、東大寺の大仏の造立にあたり、像の表面に
鍍金(金メッキ)を施すために大量の「金」を必要としていた。
そこで良弁に命じて、「金」が得られるよう、吉野の金峯山(きんぷせん)
に祈らせた。金峯山はその名の通り「金の山」と信じられていた。
そうしたところ、良弁の夢に金剛蔵王(蔵王権現)が現れ、
「金峯山の黄金は、弥勒菩薩がこの世に現れた時に地を
黄金で覆うために用いるものである。(だから今は使えない)
近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現れたまう土地がある。
そこへ行って祈るがよい」と伝えたという。
良弁はお告げにしたがって石山の地を訪れ、巨大な岩の上に
如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。
その2年後、陸奥国から「金」が産出され元号も天平勝宝と改めた。
こうして無事に効果を現した如意輪観音だが、どうしたわけか
岩山から離れなくなってしまったという。
やむなく如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。

現在の本堂(国宝)は永長元年(1096)の再建。
(滋賀県下最古の建築である)
本堂は正堂、合の間、礼堂からなる。合の間、礼堂は
淀殿の寄進で慶長7年(1602)に建立されたもの。
合の間の東端は「紫式部源氏の間」と称され、執筆中の
紫式部の像が安置されている。

多宝塔は、建久5年(1194)建立で、年代の明らかなものとしては
日本最古のもので国宝に指定されている。内部には快慶作の大日如来を安置。
東大門(重要文化財)とともに源頼朝の寄進により建てられたものとされる。

石山寺は多くの文学作品に登場する。
「枕草子」には『寺は壺坂。笠置。法輪。霊山は、
釈迦仏の御すみかなるがあはれなるなり。石山。粉河。志賀』とある。
「蜻蛉日記」(藤原道綱母)では天禄元年(970)7月の記事に登場。
「更級日記」の筆者・菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)も
長保3年(1001)石山寺に参篭している。
紫式部が「源氏物語」の着想を得たのも石山寺とされている。
紫式部が石山寺に参篭した際、八月十五夜の名月の晩に、
「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされる。


石山寺は琵琶湖の南端に位置し、
琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。
国指定天然記念物の硅灰石の巨大な岩盤の上に立ち、
これが寺名の由来ともなっている。

●本尊/如意輪観音
●宗派/東寺真言宗 ●開基/良弁(勅願・聖武天皇)
天平19年(747)に聖武天皇の発願により、
良弁(ろうべん、東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった
如意輪観音を祀ったのがこの寺の初めとされる。
聖武天皇は、東大寺の大仏の造立にあたり、像の表面に
鍍金(金メッキ)を施すために大量の「金」を必要としていた。
そこで良弁に命じて、「金」が得られるよう、吉野の金峯山(きんぷせん)
に祈らせた。金峯山はその名の通り「金の山」と信じられていた。
そうしたところ、良弁の夢に金剛蔵王(蔵王権現)が現れ、
「金峯山の黄金は、弥勒菩薩がこの世に現れた時に地を
黄金で覆うために用いるものである。(だから今は使えない)
近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現れたまう土地がある。
そこへ行って祈るがよい」と伝えたという。
良弁はお告げにしたがって石山の地を訪れ、巨大な岩の上に
如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。
その2年後、陸奥国から「金」が産出され元号も天平勝宝と改めた。
こうして無事に効果を現した如意輪観音だが、どうしたわけか
岩山から離れなくなってしまったという。
やむなく如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。

現在の本堂(国宝)は永長元年(1096)の再建。
(滋賀県下最古の建築である)
本堂は正堂、合の間、礼堂からなる。合の間、礼堂は
淀殿の寄進で慶長7年(1602)に建立されたもの。
合の間の東端は「紫式部源氏の間」と称され、執筆中の
紫式部の像が安置されている。

多宝塔は、建久5年(1194)建立で、年代の明らかなものとしては
日本最古のもので国宝に指定されている。内部には快慶作の大日如来を安置。
東大門(重要文化財)とともに源頼朝の寄進により建てられたものとされる。

石山寺は多くの文学作品に登場する。
「枕草子」には『寺は壺坂。笠置。法輪。霊山は、
釈迦仏の御すみかなるがあはれなるなり。石山。粉河。志賀』とある。
「蜻蛉日記」(藤原道綱母)では天禄元年(970)7月の記事に登場。
「更級日記」の筆者・菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)も
長保3年(1001)石山寺に参篭している。
紫式部が「源氏物語」の着想を得たのも石山寺とされている。
紫式部が石山寺に参篭した際、八月十五夜の名月の晩に、
「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされる。

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