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第五十七番札所 府頭山 栄福寺 

府頭山 栄福寺(ふとうざん えいふくじ)
●本尊/阿弥陀如来
●真言/おん あみりた ていせい からうん


57栄福寺-入り口26
●宗派/高野山真言宗 ●開基/弘法大師

愛媛県今治市玉川町八幡甲200
五十六番札所から約3km 徒歩約50分
駐車場10台(200円)寺入り口下

豊かな緑に囲まれた山麓に立つ寺。
弘仁年間(810~824)に嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開いた。
周辺の海で海難事故が相次いでいることを知った大師は、
府頭山の山頂で海神供養の護摩供を行った。
その満願の日に海上に出現した阿弥陀如来を本尊として
祀ったのが始まりとされている。
57栄福寺-本堂26
貞観元年(859)には、大安寺の行教上人が暴風雨のため
この地に漂着。府頭山が男山に似ていることに気付き、
また阿弥陀如来が八幡大菩薩の本地仏でもあるので、
境内に神仏混合の石清水八幡宮を建立したという。
以来、海上安全と福寿増長の祈願寺となった。
57栄福寺-大師堂26
その後、明治時代の神仏分離令によって寺を現在地に移転して
神社と寺がそれぞれ独立した。


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五十七番札所の納経


☆一口メモ/お願い地蔵
57栄福寺-お願い26
境内の入り口に立つ「お願い地蔵」は願いをかなえてくれるという。
ふっくらとした可愛いお顔のお地蔵様だ。

大師堂の干支
57栄福寺-干支26
大師堂は、以前山頂にあった建物の唯一のお堂。
建物の外周りに施された12支の彫刻は一見の価値あり。
正面には球をくわえた龍が、側面には虎などが彫られている。
羊だけ姿が見えないが、隠し彫りされているらしい。
自分の干支を探してみては・・・?


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第五十六番札所 金輪山 泰山寺 

金輪山 泰山寺(きんりんざん たいさんじ)
●本尊/地蔵菩薩
●真言/おん かかかび さんまいえ そわか


56泰山寺-山門26
●宗派/真言宗醍醐派 ●開基/弘法大師
愛媛県今治市小泉1-9-18
五十五番札所から約3km 徒歩約50分
駐車場50台(200円)門前

のどかな田園風景の中に立派な石垣が印象的。
珍しいことに、この寺には山門が無い。
56泰山寺-本堂26
今治市内を流れる蒼社川(そうじゃがわ)は、たびたび氾濫し
人々は困っていた。
56泰山寺-庭26
この地を訪れた弘法大師が堤防を築き、「土砂加持(どしゃかじ)」
の秘法を行った。すると、満願の日に地蔵菩薩が現れた。
大師はその姿を刻み本尊として安置した。
寺名は延命地蔵十大願の「女人泰産」からとって、泰山寺
名付けられたという。
56泰山寺-大師堂26
高台にある落ち着いたたたずまいの境内には、本堂の向かいに
地蔵車がある。この地蔵車に参拝者は、一回一徳を願って
車輪を手前に回転させ、手を合わせて拝むのだそうだ。
56泰山寺-地蔵車26
この車輪は人生の時計を意味していると言われ、回り巡ってくる
輪廻思想に基づいて名付けられたものだとも言われている。

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五十六番札所の納経

☆一口メモ/不忘の松(わすれずのまつ)・石像
56泰山寺-松26
大師堂のそばにあった「不忘の松」は大師が寺を建立した時に
自ら植えられたものだが一度枯れてしまい,今は古い切り株が
残っている。
現在は子株として育っていた一株が植えられている。
56泰山寺-大師像26
また、境内には多くの像が並んでいる。大師堂のそばには、
金剛杖を持ち菅笠をかぶった大師像が立っている。
本堂横には金剛力士像と、釈迦の弟子であったとされる
「びんずる尊者」の像が鎮座している。

第五十五番札所 別宮山 南光坊 

別宮山 南光坊(べっくさん なんこうぼう)
●本尊/大通智勝如来
●真言/なむ だいつうち しょう ぶつ


55南光坊-山門25
●宗派/真言宗醍醐派 ●開基/行基
愛媛県今治市別宮町3-1
五十四番札所から約4km 徒歩約1時間
駐車場10台(無料)本堂と大師堂の間

四国霊場で「坊」とつくのはここだけで、本尊は大通智勝如来。
過去七仏(釈迦と釈迦以前に現れた仏)の一尊だという。
55南光坊-本堂25

今治沖にある大三島の大山祗神社は、大宝3年(703)、海を
渡らなくても参拝できるようにと、今治に別宮を建てて、
24坊のうち南光坊を含む8つの坊を移した。
55南光坊-大師堂26
のちに弘法大師が霊場に定めたという。
天正年間の兵火で焼失したが、もっとも規模の小さかった南光坊
だけが大山祗神社の別当寺として再建されたと伝えられる。
※今では「しまなみ海道」の開通により簡単に?
 車で大三島まで行けるようになった。
55南光坊-薬師堂26
明治時代の神仏分離で大山祗神社から独立し、本尊の大通智勝
如来もここに移された。このような由来から「坊」がついている。
昭和20年の大空襲で「大師堂」と「金毘羅堂」以外の建造物は
焼失。本堂は昭和56年に再建された鉄筋コンクリート造。
55南光坊-仁王像26
国道沿いに、平成10年に新築された巨大な山門には、帝釈天の
四方を守護するという武将たち、東方の持国天、西方の広目天、
南方の増長天、北方の多聞天の四天王像が立つ。
4体とも、茶と金の二色塗りで迫力がある。


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五十五番札所の納経

☆一口メモ/金毘羅堂
55南光坊-金毘羅堂26
大師堂と金毘羅堂は、戦火を免れたもので、特に金毘羅堂は
文久年間(1861~1864)建立の歴史ある建物。
大師堂は大正5年に建立。戦火を逃れた大師堂は歴史を感じさせる。
地元の人から「別宮のお大師さん」として親しまれている。

別宮 大山祗神社
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大山祗神社の四国本土での礼拝所として、大宝年間(701~704)に
伊予の国豪族・越智氏によって今治に勧請された。
かつての参道は長く、現在の大鳥居は三の鳥居にあたるそうだ。
ちなみに一の鳥居は、海岸にあったといわれている。
55南光坊-大山25


第五十四番札所 近見山 延命寺 

近見山 延命寺(ちかみざん えんめいじ)
●本尊/不動明王
●真言/のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ 
      まかろしゃだ そはたや うん たらた かんまん


54延命寺-山門26
●宗派/真言宗豊山派 ●開基/行基
愛媛県今治市阿方甲636
五十三番札所から約38km 徒歩約10時間
駐車場30台(100円)山門前

天平年間(729~749)に行基が不動明王を刻み本尊として建立。
その後(平安時代)嵯峨天皇の勅願により弘法大師が再建。
54延命寺-本堂26
寺は幾度となく兵火を受けたため場所を移動。
享保12年(1727)に現在の場所に移った。
もともとは近見山円明寺といったが、五十三番札所
「円明寺」と紛らわしいので、明治に入ってから名を改めた。
本堂は昭和3年に移転・新築された。
54延命寺-大師堂26
地元の人は、五十三番円明寺を「和気(わけ)のえんみょうさん」
五十四番延命寺を「阿方(あがた)のえんめいさん」と呼んで
区別しているらしい。
54延命寺-中門25
山門(中門)は、今治城城門の一つを譲り受けたもの。明治の
廃藩置県の際に多くの名城が取り壊された。今治城もその一つ。
総欅造りの立派なたたずまいは、ひときは目を引く。
54延命寺-釈迦26
大師堂の右の丘には行基菩薩の供養塔もある。
54延命寺-行基26


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五十四番札所の納経

☆一口メモ/梵鐘(近見二郎)
54延命寺-鐘26
今治市指定の文化財。
宝永元年(1704)、当時の住職が私財を投じて鋳造したもの。
梵鐘の周囲には寺の由来が刻み込まれている。
現在は引退し「近見三郎」が代わって使われている。
年に一度大晦日の除夜の鐘では「二郎」の音色が聞ける。
※初代の「近見太郎」は海に沈んだとされる。

鎌大師堂
鎌大師-1
円明寺から延命寺まで30km以上の道のりだが、ちょうど中間
あたりの松山市下難波に、番外霊場の鎌大師堂がある。
弘法大師が疫病に苦しんでいた人々のために、鎌で自らの像を刻み
病気平癒を祈願したと伝えられるお堂。その後村人たちが大切に
このお堂を守り続けてきたといわれる。

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にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました