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第十六番札所 光耀山 観音寺 

光耀山 観音寺(こうようざん かんおんじ)
●本尊/千手観世音菩薩
●真言/おん ばさら たらま きりく


16観音寺-山門26
●宗派/高野山真言宗 ●開基/弘法大師
徳島県徳島市国府町観音寺49-2
十五番札所から約2km 徒歩約25分
駐車場6台(無料)境内すぐ横

香川県の観音寺の方が、市の名称にもなっていて有名だが、
十六番札所も、徳島県の観音寺である。
16観音寺(徳島)-2本堂25

聖武天皇が、国分寺、国分尼寺を創立させたのと同年の
天平13年(741)、同じく聖武天皇の勅願道場として創立。
その後、弘法大師がこの地を訪れ、等身大の千手観世音菩薩を
刻んで本尊とし、両脇侍に不動明王と毘沙門天を安置した。
これは観音菩薩の功徳と、不動明王の威力、毘沙門天の
授福にあやかるということだという。
16観音寺-大師堂26
その後、長宗我部軍の兵火によって焼失したが、
万治2年(1659)に再興され現在に至る。
本堂前にある「仏足石」は五世紀のインド・グプタ時代の
もっとも古い仏足石の模型で、仏足石を合掌した手で
体の悪い部分を触ると快癒するといわれている。

16観音寺(徳島)-神社25

本堂内に、火に包まれた女性の絵が奉納されている。これは、
実話に基づいて描かれたもので、明治時代にこの寺を訪れた
女遍路の白衣に、焚き火が燃え移り、炎に包まれたが、
周囲の人々の救出で一命をとりとめた。
この女性は、「以前仲の悪かった姑を柱に縛り、燃えている
薪で叩いて折檻した」と告白。これは大師の戒めだと反省して
この絵を奉納したのだという。

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十六番札所の納経

☆一口メモ/夜泣き地蔵         
16観音寺-夜泣き26
子供の夜泣きを止めてくれる地蔵尊として、困った親たちが、
お参りにくる。夜泣き封じをお願いして、夜泣きが治まると
新しい「よだれかけ」を奉納していくので、この地蔵尊には、
いつも何枚もの「よだれかけ」が掛かっているという。
子供だけでなく、夜眠れない人が、よく眠れるようにという
願いもかなえてくれるそうだ。

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第十五番札所 薬王山 国分寺 

薬王山 国分寺(やくおうざん こくぶんじ)
●本尊/薬師如来
●真言/おん ころころ せんだり まとうぎ そわか


15国分寺-山門26
●宗派/曹洞宗 ●開基/聖武天皇(勅願)
徳島県徳島市国府町矢野718-1
十四番札所より約1km 徒歩約15分
駐車場15台(無料)境内すぐ横

天平13年(741)、聖武天皇が天下泰平を祈願して
全国66ヵ所に建立した国分寺の一つで、
勅命を受けた行基が建設を指揮したものとされる。
15国分寺-本堂26
当初は法相宗だったが、弘仁6年(815)弘法大師が訪れ
真言宗に改めたという。
当時は広大な寺域に東大寺式の伽藍を構えた大寺だったが、
天正年間に兵火にあい焼失した。その後廃寺となっていたが
寛保元年(1741)藩の命令により再建。
その時に宗派も曹洞宗となり現在に至っている。
15国分寺-大師堂26
山門脇には「聖武天皇勅願所」の石碑が立っている。
山門をくぐった正面に見える本堂は、重層入母屋づくりで
四国札所の中でも髄一の立派さ。文化文政年間(1804~1830)に
第九世光山文明和尚によって再建されたもの。
15阿波国分寺-鐘楼25
本尊の薬師如来は行基自ら彫ったものと言われている。
また本堂内には聖武天皇と光明皇后の位牌が祀られている。


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十五番札所の納経


☆一口メモ/烏瑟沙摩明王堂(うすさまみょうおうどう)
15国分寺-うすさま26
国分寺の中で唯一兵火を逃れた烏瑟沙摩明王堂。
烏瑟沙摩明王とは大師が唐から招来した仏で、
悪を降伏させて善に導く役目を持つ。
また、眼と下半身の病に霊験があるといわれている。

七重塔心礎
15国分寺-石26
境内の片隅に、「七重塔心礎」と言われる心礎石がある。
天平12年(740)国分寺造営詔勅の前年諸国に七重塔
造営が詔られているので、天平年間(729~748)には
建立されていたと思われる。

第十四番札所 盛寿山 常楽寺 

盛寿山 常楽寺(せいじゅざん じょうらくじ)
●本尊/弥勒菩薩
●真言/おん まい たれいや そわか


14常楽寺-入り口26
●高野山真言宗 ●開基/弘法大師
徳島県徳島市国府町延命606
十三番札所から約2.5km歩くと約35分
駐車場5台(無料)境内下ため池の横

弘仁6年(815)弘法大師が創建した。
修業中に化身した弥勒菩薩が多くの菩薩を従えて現れ、
説法を行ったので、大師はその姿を刻んで本尊としたという。
14常楽寺-本堂25jpg
寺は大師の弟子たちにより伽藍が整備され、室町時代には
細川家の祈願所として栄えた。が、この寺も天正年間の
兵火で焼失し、荒れ寺となる。
江戸時代の万治2年(1659)蜂須賀家により再興。文化15年
(1818)にため池築造のため現在地へ移された。
14常楽寺-大師堂26jpg
本尊の弥勒菩薩は本尊としては四国霊場中唯一!
弥勒菩薩は、釈迦入滅後56億7千万年後この世に下生し
衆生を救済すると言われているありがたい未来仏である。
しかも日本三体のひとつとして仏像としての評価も高い。
(ちなみに残り二体は京都と滋賀の三井寺に祀られている)

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本堂に覆い被さるように枝を広げている大木がある。
これは、弘法大師が病に苦しむ老人に煎じて飲ませたと
伝えられる櫟(イチイ)の木で、別名「あららぎの霊木」と呼ば
れる。この伝説から、あらゆる病気に霊験を発揮すると言わ
れている。
14常楽寺-大師像
見上げると、木の股に木彫りのかわいい大師像があり、
お大師さんが優しく見守ってくれているようだ。


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十四番札所の納経

☆一口メモ/流水岩の庭園
14常楽寺-庭25
境内は歩きにくいほどの断層がある。
自然の大岩盤でできた「流水岩の庭園」が特徴。
流れるような美しさは見ごたえがある。
しかし、今でも雨や風などで形が変化し続けているので、
名作庭園としての評判は高いが、天然記念物としては
認定されていない。

第十三番札所 大栗山 大日寺 

大栗山 大日寺(おおぐりざん だいにちじ)
●本尊/十一面観世音菩薩
●真言/おん まか きゃろにきゃ そわか


13阿波大日寺-山門25
●宗派/真言宗大覚寺派 ●開基/弘法大師
徳島県徳島市一宮町西丁263
十二番札所より約29km歩くと約7時間~8時間
駐車場30台(無料)境内より徒歩2~3分

弘仁6年(815)」、弘法大師が、鮎喰川を挟んで対岸にある
「大師ヶ森」で修行を行っていると、大日如来が出現し
「この地に寺を建立せよ」と告げられた。弘法大師は、
早速大日如来を刻んで本尊とし安置したといわれている。
13阿波大日寺-本堂25
その後、阿波の国の総鎮守として一宮神社が創建されると
寺は別当寺として崇敬を集めたが、天正年間の兵火により
焼失し、その後再建されるが、明治時代初期の廃仏毀釈で
寺は荒廃した。現在の建物はそれ以降に再建されたもの。
13阿波大日寺-大師堂25
明治時代の神仏分離令により一宮神社にあった行基作の
十一面観音がここに移され本尊となり、創建当時から
本尊だった大師作の大日如来は脇侍仏になった。

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十三番札所の納経

☆一口メモ/しあわせ観音
13阿波大日寺-観音25
門を入った正面に、合掌している両手の中に観音像が入った
「しあわせ観音」と言われる観音像がある。
その名の通り「幸せ」を願い祈るといいとされている。

薬医門
以前は向かいの一宮神社との間に道路はなく、山門が境
だったが、寺と神社を隔てた道路の開通により山門はなく
なってしまった。平成18年にそれを復元してできたのが
薬医門。小さめの造りだが、地元の人たちにも親しまれて
いるという。
13阿波大日寺 -神社25
※薬医門の前、道を隔てた向かいにある一宮神社 


第十二番札所 摩盧山 焼山寺 

摩盧山 焼山寺(まろざん しょうさんじ)
●本尊/虚空蔵菩薩
●真言/
のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃまり ぼり そわか


12焼山寺-山門26
●宗派/高野山真言宗 ●開基/役行者子角
徳島県名西郡神山町下分字地中318
十一番札所から車道約40km。約1時間30分~2時間
歩き道(山中を歩く)約11km約6~8時間

標高938mの焼山寺山の8合目に位置するこの寺は、
昔から「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれ、
遍路道の中で一番の難所であった。
車で巡礼できるようになった現在でも、難所の一つと言える。
12焼山寺-布袋26
初めてここへ来たとき(もう30年も前のこと、もちろん車だが)
登るときは道を間違えたのかと思うくらい遠く、山を下るときは、
なかなか大きい道が見えず、本当に大変な所という印象だった。
今は駐車場も広くなり、境内までの参道にはたくさんの石仏が
出迎えてくれる。
12焼山寺-本堂26
もともとは役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)が山を開き
蔵王権現を祀り、庵を結んだのが始まりと言われている。
12焼山寺-大師堂26
弘法大師がこの地へ修行に訪れ仏法鎮護の道場にしようと
山に上ったところ、山の主という大蛇が山を火の海にし、
大師の邪魔をしようとした。そのとき虚空蔵菩薩が現れ、
その力を借りて大蛇を封じ込めたという。
大師は本尊の虚空蔵菩薩を刻み、焼け山の寺と名付けたという。
12焼山寺-鐘楼26
焼山寺の鐘物語
寺の鐘は、慶安二年(1649)蜂須賀公二代藩主が寄進したもの。
その時蜂須賀公は二つの鐘を造り、一つをここに、もう一つを
徳島市内に寄進されたそうだ。
焼山寺の鐘は徳島市内まで届くほどだったが、もう一つの鐘は
よい音も出さず、公は人を使わして「鐘を替えたい」と申し出たが
鐘は「いな~ん!いな~ん!」と鳴って果たされなかったという。
昭和16年、戦争中に供出の命が下り山麓まで運ばれ
馬車に運んだが、馬俄かに腹痛を訴えもだえ苦しんだ。
馬子は遂に鐘を運ぶことを断念したという。
戦争が終わり、文化財として県の指定を受け、別の場所に保存し
今は二代目の鐘が鳴り響いている。

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十二番札所の納経

☆一口メモ/三面大黒天        
12焼山寺-三面大黒26
弘法大師作のもので、中央に大黒天、右面に毘沙門天、
左面に弁財天の像を彫ったもの。 
「除災招福」の神として深い信仰を集めている。          
本堂に向かって左側の三面大黒天堂に安置されている。

12焼山寺-杉・不動26
杉の巨木      
幹の樹周5m前後の巨木は天然記念物に指定されている。
約150~160本余りあるといわれ、焼山寺のシンボルとなっている。
         

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にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました