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真言宗十八本山第十四番 朝護孫子寺 

真言宗十八本山第十四番 
日本で初めて毘沙門天が現れた地!
朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)
朝護孫子寺-本堂

●宗派/信貴山真言宗総本山 ●本尊/毘沙門天
●開基/聖徳太子(伝)

●奈良県生駒郡平群町大字信貴山2280-1

朝護孫子寺は大和国(奈良県)と河内国(大阪府)の境、
奈良県側の信貴山の山腹に位置する。
創建の時期や経緯については判然としない。
朝護孫子寺-聖徳太子
聖徳太子を開基とする伝承によると、太子が物部守屋討伐の
戦勝祈願をしたところ、寅の年・寅の日・寅の刻に毘沙門天が
現れ、その加護によって勝利し、推古2年(594)に毘沙門天を
祀る寺院を創建し、「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付け
たとする。
朝護孫子寺-玉蔵院
九世紀末に本堂を建立し寺を再興した命運上人が、勅命に
より醍醐天皇の病気平癒を毘沙門天に祈願し、見事平癒。
「朝廷を子々孫々にわたり守護せよ」との意味で「朝護
孫子寺」の名を賜る。
余談だが武田信玄も信仰者であったという。
朝護孫子寺-成福院

寺域は広く、特に本堂の舞台からの眺望は素晴らしい!
この本堂は、文禄年中(1592)豊臣秀吉の再建、または慶長
7年(1602)秀頼の再建とする説が有り定かではないらしい。
昭和26年火災で焼失し、同33年に再建された。


noukyou-朝護孫子寺18の14 ●朝護孫子寺の納経

●一口メモ/大福寅
朝護孫子寺-虎
仁王門をくぐり参道を歩いていくと、赤門が見えてくる。
その前に「世界一大福寅」の張り子の虎が現れる。
高さ約3m、長さ約6mのインパクトある姿にはびっくり!
寅の年・寅の日・寅の刻に毘沙門天が現れたという話に
ちなみ境内のいたるところで虎を見かける。この金と銀の
小虎?は、見ているだけで笑みが出てくる。
朝護孫子寺-小虎

白虎
朝護孫子寺-白虎
中国の伝説上の神獣で、東西南北の守護のうち西方を守る。
細長い体の白い虎の形をしている。
遷都1300年祭で信貴山が白虎の位置づけとされた。


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真言宗十八本山第十三番 宝山寺 

真言宗十八本山第十三番 
生駒の聖天さん!
宝山寺(ほうざんじ)
宝山寺-鳥居

●宗派/真言律宗大本山 ●本尊/不動明王
●開基/湛海律師(たんかいりっし)

●奈良県生駒市門前町1番1号

宝山寺-山門
寺伝によると、斉明天皇元年(655)に役行者が開いた修験
道場が始まりとされる。当時は都史陀山 大聖無動寺(とし
だざん だいしょうむどうじ)という名であり、空海(弘法大師)
も修行したと伝わる。
宝山寺-本堂
事実上の開山は、江戸時代の延宝6年(1678)に湛海律師が
再興し、歓喜天を祀った時だと言われる。
宝山寺-聖天堂
聖天信仰の霊場として名高く、江戸時代には商売の神として
庶民の信仰を集めた。
皇室や徳川将軍家、郡山藩主柳沢家からの祈願もあり、
以後大いに栄え「生駒山」「生駒の聖天さん」と親しみを込め、
現生利益を求める多くの人々の信仰の寺となった。
宝山寺
1918年には日本最初のケーブルカーが敷設され現在でも
年間約300万人の参拝者が訪れる。


noukyou-宝山寺18の13 ●宝山寺の納経

●一口メモ/宝山寺と近鉄&ケーブルカー
1914年4月に、現在の大阪上本町~奈良間の路線を
開業させた際、生駒山の麓に生駒駅が開設され宝山寺の
参詣者は大幅に増加したといわれる。しかし生駒トンネルの
莫大な開削費用負担や、沿線人口が少なく観光客頼りで
あったために、開通して間もない6月下旬には、給料の
支払いはおろか、翌日に使う切符の印刷費にも困るほどに
財政は窮乏したという。
同社の取締役の一人であった金森又一郎氏は宝山寺に
乗車券10万枚と引き換えに賽銭を貸して頂けないかと
頼み込んだ。当時の管主は寺が生駒に駅を設けることを
請願したためトンネルの建設に苦しんだ。だから当寺にも
責任がある。と快く資金を都合してくれたという話が残っている。
この賽銭は給料にも回されたため、給料袋は重かったという。
宝山寺-ケーブル
今も寺には、金森の書いた借用証書が残っているという。
またケーブルカーが開業した要因の一つには、上記の話に
対する「礼」というものもあったといわれる。



真言宗十八本山第十二番 醍醐寺 

真言宗十八本山第十二番
秀吉の醍醐の花見で有名! 
醍醐寺(だいごじ)
醍醐寺-金堂JPG

●宗派/真言宗醍醐派総本山 ●本尊/薬師如来
●開基/理源大師聖宝(しょうぼう)

●京都府京都市伏見区醍醐東大路町22

醍醐寺の創建は貞観16年(874)、空海の孫弟子にあたる
聖宝(しょうぼう)が准胝(じゅんてい)・如意輪の両観音像を
安置し開山、聖宝は「醍醐山」と名付けた。
醍醐寺-総門
醍醐寺は、醍醐山頂上一帯を上醍醐と呼称し、修験者の
霊場として発展した。醍醐天皇は、醍醐寺を自らの祈願寺に
するとともに、手厚い庇護を掛け、醍醐山麓の広大な地に
大伽藍を整備し「下醍醐」が発展することになる。
醍醐寺-三宝院唐門
その後応仁の乱等で下醍醐は荒廃し、五重塔以外は焼失。
しかし、秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに伽藍の整備、
三宝院の建設などにより、現在の姿になった。
醍醐寺-仁王門
下醍醐の中心である金堂(国宝)は、秀吉によって紀州から
移築されたもので、平安時代の様式を残している。
本尊の薬師如来と両脇侍は鎌倉時代の作で、いずれも
重要文化財に指定されている。
醍醐寺-清瀧宮
下醍醐には、清瀧宮本宮や祖師堂、不動堂、大講堂、女人堂
弁天堂など多くの堂宇が点在する。
醍醐寺-不動堂
醍醐寺は、下醍醐だけでも広く「上醍醐」や「三宝院」など
全てを見るには1日では無理かもしれない。
醍醐寺-弁天堂
上醍醐は西国三十三箇所第11番札所であり、西国一険しい
札所として知られる。


noukyou-醍醐寺18の12  ●醍醐寺の納経

●一口メモ/国宝五重塔
醍醐寺-五重塔2
天暦5年(951)の建立。亡くなった醍醐天皇の冥福を祈るため
代明(よしあきら)親王が発願し、建立が計画されたが親王の
死去などが有り工事は停滞。完成したのは発願の20年後だった。
総高38m、相輪部が12.8mで、全体の3割を占める。
京都に残る数少ない平安時代の建築として貴重であるとともに、
内部の両界曼荼羅と真言八祖を表した壁画も平安絵画として
重要であり、塔本体とは別に「絵画」として国宝に指定されている。

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にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました