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真言宗十八本山第九番 東寺(教王護国寺) 

真言宗十八本山第九番
真言密教の根本道場 
東寺(教王護国寺)(とうじ・きょうおうごこくじ)

東寺-南大門・金堂

●宗派/東寺真言宗総本山 ●本尊/薬師如来
●開基/桓武天皇

●京都府京都市南区九条町1

東寺の正式名称は「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」と
「弥勒八幡山総持普賢院」の2つの名勝がある。
教王護国寺(きょうおうごこくじ)が近代以降の法人名として
の正式名称であるが「東寺」も単なる通称や俗称ではなく、
創建当時から使用されてきた歴史的名称である。
東寺金堂-n
8世紀末、平安京の正門に当たる羅城門の東西に「東寺」と
「西寺」という2つの寺院が建立された。
「東寺」は平安京の左京と東国を守る国家鎮護の寺と言う
意味合いを持った官立寺院であった。
(ちなみに西寺は廃絶して今はない)
弘仁14年(823)弘法大師空海は嵯峨天皇から東寺を賜った。
この時から,国家鎮護の寺院であるとともに真言密教の
根本道場となった。
東寺-五重塔1
以来、後白河法皇、源頼朝、織田、豊臣、徳川の各氏らの
外護を受けてきたが、落雷や兵火によって創建当時の建物は
残っていない。五重塔は、正保元年(1644)徳川家光の寄進
によって造営されたもの。
東寺-講堂
南大門から金堂・講堂・食堂と直線に敵に並ぶ伽藍配置は、
創建当時の様式を守ったもので、当時の寺院の姿がしのばれる。
講堂には大日如来を中心とした立体曼陀羅が構成され、その
全体の構想は空海によるものとされる。

東寺-大師堂正面
境内北部の「西院」と呼ばれる一画に立つ御影堂は、かつて
空海が住房としていたところで、北側の前堂には弘法大師
(国宝)を安置している。
東寺-大師堂
後堂(南側)には空海の空海の念持仏とされる不動明王坐像
(国宝)を安置する。この像は秘仏で非公開だが、不動明王像
としては最古の作例のひとつといわれる。
弘法大師空海が今も生きているがごとく朝食を捧げる「生身供」
(しょうしんく)の儀式は、今も毎朝6時から御影堂で行われており、
多くの参拝者が集まる。

noukyou-東寺  ●東寺の納経

●一口メモ/弘法市
京都の観光名所として観光客が絶えないのはもちろんだが、
弘法大師入定(にゅうじょう)の毎月21日には大師堂前で
開かれる朝市は「弘法さん」の名で知られ、境内には露店が
数多く並びいつも信者や買い物客でにぎわう。

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真言宗十八本山第八番 泉涌寺 

真言宗十八本山第八番 
御寺(みてら)と呼ばれる寺
泉涌寺(せんにゅうじ)
泉涌寺-総門

●宗派/真言宗泉涌寺派総本山 
●本尊/釈迦如来・阿弥陀如来・弥勒如来
●開基/神修上人(伝)

●京都府京都市東山区泉涌寺山内町27

仁和寺・大覚寺などと共に、皇室ゆかりの寺院として知られる。
草創の時期はいろいろ説があり、藤原氏が自らの山荘に
神修上人を開山として草創したという伝承もある。
別の伝承は、空海がこの地に草創した法輪寺が起源であり
藤原氏によって再興され、仙遊寺と改めたという説もある。
泉涌寺-仏殿
鎌倉時代の建保6年(1218)月輪大師・俊芿(がちりんだいし・
しゅんじょう)が、宇都宮信房からこの地を寄進され大伽藍を
造営し、嘉禄2年(1226)完成。その時、寺の一角から霊泉が
湧き出たことから泉涌寺と改めた。今もこの泉は枯れることなく
湧き続けている。それを覆う屋形は寛文期のもので、仏殿と
同時代のものといわれる。
泉涌寺-泉涌水屋形

俊芿は宋から多くの文物をもたらし、泉涌寺の伽藍はすべて
宋風に作られた。応仁の乱による焼失を初め、たびたびの
火災で焼失しており、現在の堂宇はそれ以降の再建。
本堂は徳川家綱の援助で寛文8年(1668)に再建したもので、
この寺では宋風に「仏殿」の呼称を用いる。
内部には本尊の三尊仏が安置され、また毎年3月15日に
奉掲の「大涅槃図」は国内随一の巨大作であり、一見の
価値がある。(今回も見ることができました。ラッキー!)

泉涌寺-大門
皇室との結びつきは強く貞応3年(1224)には後堀河天皇に
より皇室の祈願寺と定められた。江戸時代には後水尾天皇
以下、幕末の孝明天皇に至る歴代天皇が山内に葬られている。
泉涌寺はこれら皇室の陵墓に香を炊き花を供える香華院となり、
「御寺(みてら)」と尊称されている。
泉涌寺-舎利殿

noukyou-泉涌寺18の8 ●泉涌寺の納経

●一口メモ/楊貴妃観音堂
泉涌寺-楊貴妃観音堂
大門を入って左手の奥まったところに建つ。
南宋時代の作である観音菩薩坐像(通称・楊貴妃観音)を
安置する。近年は、恋愛成就・縁結びのパワースポットとして
人気がある。

真言宗十八本山第七番 智積院 

真言宗十八本山第七番 
根来山から京都東山へ
智積院(ちしゃくいん)
智積院-総門

●宗派/真言宗智山派総本山 ●本尊/金剛界大日如来
●開基/玄宥(げんゆう)

●京都府京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964

智積院は、もともと紀州・根来山大伝法院の数多く建てられた
塔頭(たっちゅう)寺院の学頭寺院だった。
しかし、根来山が巨大な勢力を持つに至り、秀吉と対立し、
その軍勢により天正13年(1585)、堂宇のほとんどを焼失。
その時、智積院の住職であった玄宥は難を逃れ、各地を流転
しながら智積院の再興を志した。慶長6年(1601)、家康より
東山豊国神社境内の宿坊と土地が与えられ、智積院は復興した。
智積院-金堂
元和元年(1615)に豊臣氏が滅び、隣接地にあった豊臣氏ゆかりの
禅寺・祥雲禅寺を拝領し、境内伽藍が拡充された。
再興された智積院の正式名称は、「五百佛(いおぶさん)根来寺
智積院」という。
智積院-大師堂
智積院は、根来時代の伝統を踏まえ、弘法大師から伝わる
真言教学を伝える「学山」として教学や修行を行い、また
他宗の僧侶や一般の学徒にも解放され、「学門寺」として
江戸時代には多くの学僧を輩出したという。
智積院-山門2JPG
明治初期の廃仏毀釈により、智積院は困難な時代をむかえた。
また、明治15年には金堂を焼失した。
こうした時代を経て、明治33年に全国約3000の寺院が結集し
智積院を総本山と定めた。

noukyou-智積院18の7 ●智積院の納経

●一口メモ/明王殿
智積院-不動堂
本尊は不動明王で不動堂とも呼ばれる。
昭和22年の火災により本堂が焼失した際に、浄土宗の名刹
大雲寺の本堂を譲り受け、現在の講堂の場所に移築した。
平成2年に講堂再建に伴い現在の場所に移築された。

真言宗十八本山第六番 仁和寺 

真言宗十八本山第六番 
御室桜で有名な門跡寺院!
仁和寺(にんなじ)
仁和寺-仁王門

●宗派/真言宗御室派総本山 ●本尊/阿弥陀如来 
●開基/宇多天皇
●京都府京都市右京区御室大内33

仁和寺は第58代光孝天皇の勅願により建て始められたが、
翌年、光孝天皇は崩御されたため、宇多天皇がその遺志を継ぎ
仁和4年(888)に「西山御願寺」として完成。やがて、年号から
仁和寺と号した。
仁和寺-金堂
宇多天皇は、譲位後出家し寺の西南に「御室」と呼ばれる僧坊を
建てて住んだため「御室御所」の別称がある。
この後、皇室出身者が仁和寺の代々門跡(住職)を務め、平安~
鎌倉期には門跡寺院として格式高く栄えたという。
仁和寺-中門
応仁の乱によりほとんどを焼失したが、寛永11年(1635)、
上洛していた徳川家光に、仁和寺再興を申し入れ承諾された。
仁和寺-御影堂
慶応3年(1867)、第30代純仁法親王が還俗したことにより、
皇室出身者が門跡となる宮門跡の歴史を終えた。
仁和寺-五重塔
平成6年には京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」
に登録された。

noukyou-仁和寺18の6 ●仁和寺の納経


●一口メモ/菅公腰掛石・水掛不動尊
仁和寺-水掛不動
長い柄杓が置いてあり(笑えるくらい長い!)、不動尊に水を
掛けると願いが一つかなうという。この不動尊が乗っているのが
「菅公腰掛石」菅原道真公は大宰府に流される途中に仁和寺に
立ち寄り、宇多上皇に冤罪を訴えるため、この石に座って
待っていましたが結局、上皇には会えなかったという。
仁和寺-道真石

名勝・御室桜
約200本あり、八重咲きの桜は、満開が例年4月20日過ぎと
遅く、桜の名所が多い京都の最期を飾る。この地は岩盤が固く
深く根が張れないため樹高が低いのが特徴。
余談だが、京都では背が低く、鼻が低い女性を「御室桜のよう」
と呼ぶことがあるらしい。


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にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました