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2010年06月の記事一覧

讃岐うどん14 

讃岐うどん14
中西うどん
太いうどんが美味い!
中西ー店
ここ「中西うどん」は太麺が特徴。
店に入ると丼が置いてある。うどんの玉数によって丼を選ぶ。
てんぷらを選び(今回はシンプルにかけうどんのみ)
店の中央にある作業台?でうどんを温める。
中西―店内
その隣にあるダシを丼に張りテーブルにつき、お好みでネギ・
天かすを加え食す。
中西ーうどん
シンプルだが太い麺とあっさりだが深い味わいのダシが絡んで
のど越しよく入っていく。2玉を選んだのだが、あっという間に
無くなってしまった。これで(2玉)270円だから最高!
中西ー看板
このでっかい看板が目印。駐車場も広くなってわかりやすい。
朝5時から16時まで(祝日は14時まで)の営業。
日曜日が定休日なので注意。

お店のホームページ
http://www.nakanishiudon.com/index.html
ネットで注文もできます。

●一口メモ/條辺剛
誰?と思う人もいるだろうが、すぐ分かる人は野球通。
長嶋さんが監督の時、あの独特のカン高い声で「條辺!」と
毎日のように、特に中継ぎ、時には抑えと大活躍した投手。
2005年24歳で現役を引退。徳島の先輩水野さんの紹介で
宮崎のうどん店(製麺所)で働き、独立開業を目標にうどんの本場
讃岐で修業先を探し、ここ「うどんのなかにし」で1年半の間修行。
中西ー新聞
2008年4月、ふじみの市に「讃岐うどん條辺」を開店!
新聞やテレビでも取り上げられた。

※おまけ
讃岐うどん條辺の入り口にかかる暖簾の「條辺」という文字は
長嶋茂雄さんが左手で書いた文字を染め抜いたものだという。

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讃岐うどん13 

讃岐うどん13
復活!宮武うどん
2009年6月突然?閉店した讃岐うどんの名店「宮武」が
場所を高松市に移し4月にオープンした。
「宮武」を閉店後に弟子入りしてきた、元和食職人の現店主が
「宮武」の味を引き継いだという。
宮武―店
早速行ってみた。高松西インター(ハーフインターなので注意)を
降りてすぐの信号を越えると見えてきた「宮武」の文字。
開店10分前だったがもう店は開いていて、続々とお客さんが
入っていく。中に入ると、懐かしい「あつあつ」とか「あつひや」
の文字が目に入ってきた。

宮武―うどん2
夏はこれ「あつひや」(温かいうどんに冷たいダシ)そして、
目の前で揚げているてんぷら類。「げそ天」をお皿に入れて
会計を済ませてテーブルに・・・。
麺は以前と変わらぬねじれ?のある包丁切り。いりこの香りがする
きれいに澄んだダシ。もう最高!
てんぷら類も温かく美味しい!あっという間に完食。
食べ終えて店を出たのだが、まだ10時!開店の時間?
時間帯によるが、混雑や行列は覚悟して行ったほうがいいかも?

※かけ(小)230円・げそ天100円

鎌大師2 

鎌大師2
「人生は路上にあり」
手束妙絹(てつかみょうけん)さんの著書より
鎌大師-2
鎌大師と言えば、庵主さんの手束妙絹さんが有名だった。
過去形なのは、2003年4月30日の誕生日(95歳)をもって
鎌大師堂の庵主を引退されたからです。
妙絹さんに逢いたくて、お話をしたくてここへ立ち寄る人は
多かったという。時間が許す限り話を聞いたり、また一緒に
お参りしたりしていました。

妙絹さんの言葉を紹介します。
「あなたが今こうして歩いてお遍路をできることが一番幸せな
ことではありませんか。お遍路ができる身体、宿に泊まれるだけの
お金、そしてこの四国を廻れること、この上あなたは何を望むの
ですか?仏様にお願いしてはいけません。感謝すべきものです」
四国遍路の途中で鎌大師に寄り悩みや苦しみを訴える人たちへ・・。
何冊か著書があるので興味のある人はどうぞ。


一茶の道
俳人小林一茶がこの地を訪れたのは、寛政7年(1795)旧1月13日
のこと、鴻の坂からこの地を通り松山へ向かったとされる。
一茶の来遊170周年を記念して、昭和39年1月ゆかりの地に
句碑を建立し、また鴻の坂から門田邸にいたる一茶がたどったで
あろう道を「一茶の道」として、道標などの設置をした。
鎌大師-風景
鴻の坂の近くにある三好造園さんの庭から眺めた瀬戸内海国立
公園の絶景!霞がかかった瀬戸内海もまた良い!
時代は違うが、一茶も同じような景色を眺めたはず・・・。
八反地の門田邸に泊まった時に詠んだ一茶の句。
「門前や何万石の遠がすみ」

●一口メモ/エヒメアヤメイヨスミレ
エヒメアヤメ
国指定天然記念物。ここが自生地の南限と言われている。
絶滅の危険性が極めて高いとされ、地元難波地区老人クラブ
のみなさんが守っている。

イヨスミレ
明治31年松山市の梅村甚太郎氏が発見。イヨスミレと命名し
発表した。ところが山の樹木繁茂とともにその姿を消した。
しかし、昭和56年の山火事の翌年、焼け跡から再発見された。

鎌大師-3
この大師像が鎌大師へ導いてくれる。

鎌大師 

鎌大師(かまだいし)
四国霊場ではないが、知る人ぞ知る?お堂!
鎌大師-1
鎌大師堂/松山市下難波甲1063
平安時代、弘法大師が四国巡行の途中、草を刈りながら泣く童子を
見つけ、わけを聞くと「疫病が流行し、姉が死に弟も患っており
皆死んでしまうのではないかと心配で・・・」と言う。
大師はこれを憐れみ童子の持っていた鎌で自分の像を刻み
これに祈願するようにと言い残して立ち去ったという。
その言葉どおりにすると病人は快癒し、疫病も消滅した。
その大師像を本尊としてこの地に堂を建て「鎌大師」と呼んで
深く信仰されてきたと言い伝えられる。
昭和48年境内にある芭蕉塚十八人塚、大師松と合わせて
文化財に指定されたが、大師松は平成六年に枯死してしまった。

鎌大師-芭蕉
芭蕉塚
寛政5年(1793)、芭蕉100回忌に当たりその遺徳をしのぶ
人々によって建てられたもの。碑には句が刻まれてはいないが、
県下でも古い芭蕉塚の一つといわれている。

鎌大師-十八人
十八人塚
建武2年(1335年)、赤橋武蔵野守重時は烏帽子城(えぼうしじょう)
(現在の恵良山)に拠っていたが、土居、得能連合軍に攻められ
重時ら主従十八人が自刃した。彼らを葬ったと伝えられるのが
境内南西面ある古墳内に祀られている。

※鎌大師2に続く

東尋坊2 

東尋坊2
東尋坊.023

●東尋坊の由来
昔、平泉寺(勝山市)には数千人というお坊さんがいました。
その中に東尋坊という乱暴な僧がいました。
東尋坊は、やりたい放題、好き勝手に悪行を重ねていたので
平泉寺の他のお坊さんたちは困っていました。
寿永元年(1182)四月五日、僧たちは東尋坊を誘い海辺見物に
出かけました。一同は高い岸壁から海を見下ろせる場所で
酒盛りを始めました。次第に酒がすすみ、東尋坊は酒に酔って
横になり、うとうと眠り始めました。
東尋坊.007
東尋坊のその様子を見ていた一同は、真柄覚念(まくらかくねん)
という侍に合図し、東尋坊を絶壁の上から海へと突き落としました。
(この真柄覚念とは恋愛関係のもつれがあったという)
東尋坊の無念は、にわかに豪雨と雷を呼び自分を殺した真柄覚念を
その岸壁の底へと引き込みました。
東尋坊.009
以来、毎年四月五日前後には烈しい風が吹き、海水が濁り、
荒波が立ち、猟師たちは船を出すことができず、また毎年の
この祟りを恐ろしく思い、福井東光寺の長老瑞雲に頼みました。
瑞雲は
好図見性到心清 迷則平泉不太平 北海浸々風浪静 東尋何敢碍船行
という詩を作り波に沈めました。すると例年続いていた祟りが
この日を境になくなったということです。

また他の説では、同国の僧が、
しつむ身のうき名をかへよ法の道 西をたつねて浮へ後の世
という一首を水底に入れて以来祟りが鎮まったともあります。

東尋坊 

東尋坊(とうじんぼう)
越前加賀海岸国定公園に属する。
海岸の岩肌が海食によって削られ、高さ25mほどの岸壁が続く。
東尋坊.022
国の天然記念物及び名勝に指定されている。
上から見ても下から見てもその迫力はすごい!

遊覧船に乗ると海からも眺めることができる。
沖合にある雄島(おしま)の奇岩?はハチの巣と呼ばれるものや
波形岩と呼ばれる珍しい(当然だが)岩が見られる。
東尋坊.012
ハチの巣(岩の流れが右下がり)

東尋坊.010
波形岩(岩の流れが右上がり)

これは船に乗らないと見ることができないライオン岩
東尋坊.020ライオン
ライオンが座っているところを後ろから見たところだそうです。
ライオンに見えますか?

●遊覧船の営業時間
東尋坊.002
●3月21日〜11月19日/8:00〜17:00
●11月20日〜3月20日/8:30〜15:30
(海の状態によって運行が変わるので注意)

※東尋坊2に続く・・・

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にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました