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2010年05月の記事一覧

永平寺2 

永平寺
永平寺.002

永平寺の主な伽藍
承陽殿道元禅師の御真廟。曹洞宗の聖地とでも言うべき場所
永平寺.012

法堂/七堂伽藍の一番奥にあり、説法や法要等が行われる
      伽藍の中で最も高い位置にあるので、四季折々の
      美しい景色が眺められる。

仏殿/本尊の釈迦・弥勒・阿弥陀の三世像が祀られる。
      三体の仏像は過去・現在・未来を表す。
永平寺.010

鐘楼堂/除夜の鐘で有名な大梵鐘は重さが5t
永平寺.013

報恩塔/平成八年建立の写経をお収める塔
永平寺.030納経

※おまけ/大きなすりこぎ
永平寺.022すりこぎ
すぐそばを歩く人と比べてください。

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曹洞宗大本山 永平寺 

曹洞宗大本山 永平寺
永平寺.001
寛元2年(1244)座禅修行の道場として道元禅師によって開かれた。
本尊は、釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来
寺号の由来は、中国に初めて仏法が伝来した後漢明帝の時の元号
「永平」から取ったものだという。意味は「永久の平和」である。
永平寺.011
道元以降、2世孤雲懐奘(こうんえじょう)、3世徹通義介(てっつうぎかい)
のもとで整備がすすめられた。その後、外護者の援助も弱まり
寺勢は急激に衰え、一時は廃寺同然までになったが、5世義雲が
再興し現在に至る基礎を固めた。暦応3年(1340)に兵火で焼失、
応仁の乱の最中の文明5年(1473)にも焼失した。その後も火災に
見舞われ、現存の諸堂は近世以降のもの。

三方を山に囲まれた深山幽谷の地に70余りの建物が並んでいる。
とにかく広くて何から紹介したらいいのか・・・
永平寺.017
建物が平地にないので建物同士をつなぐ廊下は階段になっている。
永平寺.008
山門は永平寺最古の建物。寛永2年(1749)の建築。
両側には四天王が安置され、吉祥山(きちじょうざん)永平寺の
命名の由来である「吉祥の額」が掲げられている。
階上には釈迦如来像や五百羅漢などが安置されている。
永平寺.026四天王1
永平寺.027四天王2
平成20年に修復された山門の四天王

※永平寺2に続く・・・

敦賀で見かけた風景 

敦賀で見かけた風景!
銀河鉄道999」&「宇宙戦艦ヤマト」に出会える街?
敦賀.004
福井県敦賀市の中心商店街に、松本零士さんの「銀河鉄道999」と
宇宙戦艦ヤマト」の名場面を再現したモニュメント像がある。
敦賀.008

松本零士さんと敦賀の関係?
敦賀.007
実は松本さんの出身地でもなくアニメの舞台でもないのだが・・・
こんな説明があった。
かつては東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港を
経由して走り、敦賀は「日本でも有数の鉄道と港の町」でした。
1999年に敦賀港開港100周年を記念して、市のイメージである
「科学都市」「港」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて
宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像12体、「銀河鉄道999」の
ブロンズ像18体の計28体のモニュメントを敦賀駅から気比神宮までの
シンボルロードに設置しました。
敦賀.012
敦賀に行って、メーテルや鉄郎、古代進やスターシャと会いませんか?
敦賀.006

敦賀にはモニュメントだけでなく、市内を走るバスやバス停にも
銀河鉄道999」&「宇宙戦艦ヤマト」が描かれている。
敦賀.003


丸岡城3 

丸岡城
丸岡城に残る伝説!
丸岡城.003

伝説1「人柱お静
天正4年(1576)に丸岡に築城の際、天守閣の石垣が一度ならず
二度、三度と崩れ落ちるので人柱を入れることになった。
そして選ばれたのが美しい生娘でなく、二人の子を抱えて
苦しい暮らしをしていたお静という片目を失明していた後家であった。
お静は息子を侍に取りたててもらうことを約束に、石垣の奥深く
埋められた。おかげで石垣積みは完成し、その上に天守も立った。
だが勝豊は他に移封し、お静の子は侍にしてもらえなかった。
お静の霊はこれを恨んで、毎年、年に一度の藻刈りをやる卯月の
頃になると、春雨で堀には水があふれ、人々は「お静の涙雨」と呼び
小さな墓を建てて霊をなぐさめたという。
丸岡城.015
堀の藻を狩り取る時の作業歌にも「堀の藻刈りに降るこの雨は、
いとしいお静の血の涙」と唄われるようになった。


伝説2「大蛇の伝説」
城の別名「霞ヶ城(かすみがじょう)」にちなむ伝説。
この城の井戸には守護神の大蛇が住んでいて、他から攻撃を
しかけられた時には、この井戸の中からあらわれ、霞を吐いて
城を包み隠し危機を救ったという。
現在も春先などに、すっぽりと「かすみ」に覆われた「霞ヶ城」を
見ることができるそうだ。
丸岡城.012井戸


丸岡城2 

丸岡城
「一筆啓上」の書簡で有名!
丸岡城.001桜
天正10年(1582)の本能寺の変後、柴田勝豊が江州長浜へ移ると、
城主は安井家清・青山修理亮・忠元・今村盛次と代わり、
慶長18年(1613)本多成重が4万3000石で入城した。
成重は、徳川家康譜代の功臣で「鬼作左」の名で知られる
本多作左衛門重次の嫡男。
重次が陣中から家族に『一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな
馬肥やせ』
と送った手紙は有名だが、文中の「お仙」は幼名を
仙千代といった成重のことである。

丸岡城.013
丸岡城データ
●天守閣の高さ/12.6m ●石垣の高さ/6.0m
●城山の高さ/17.0m ●鯱の高さ/1.66m
●石瓦の重さ/約20~50kg(1枚)
●石瓦の枚数/約6000枚・重さ約120t

丸岡城歴代城主
 柴田 勝豊(かつとよ) 天正4年~天正10年(1576~1582)
 安井左近家清(さこんいえきよ)天正10年~天正11年(1582~1583)
 青山 修理亮(しゅりのすけ) 天正11~天正15年(1583~1587)
 青山 忠元(ただもと) 天正15年~慶長5年(1587~1600)
 今村 盛次(もりつぐ)慶長5年~慶長17年(1600~1612)
 本多 成重(なりしげ) 慶長17年~正保4年(1612~1647)
 本多 重能(しげよし) 正保4年~慶安2年(1647~1649)
 本多 重昭(しげあき) 慶安2年~延宝4年(1649~1676)
 本多 重益(しげます) 延宝4年~元禄8年(1676~1695)
 有馬 清純(きよすみ) 元禄8年~元禄15年(1695~1702) 
 有馬 一準(かずのり) 元禄15年~享保18年(1702~1733)
 有馬 孝純(たかすみ) 享保18年~寛延3年(1733~1750)
 有馬 允純(ますずみ) 寛延3年~安永元年(1750~1772)
 有馬 誉純(なずみ) 安永元年~天保元年(1772~1830)
 有馬 徳純(のりずみ) 天保元年~天保8年(1830~1837)
 有馬 温純(はるすみ) 天保8年~安政2年(1837~1855)
 有馬 道純(みちずみ) 安政2年~明治2年(1855~1869)

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にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました