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2009年06月の記事一覧

八幡浜ちゃんぽん 

八幡浜ちゃんぽん
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ちゃんぽんと聞くと「長崎ちゃんぽん」を思い浮かべる人が多いが、
四国・愛媛では「ちゃんぽん」と言えば「八幡浜ちゃんぽん」だ。
ではどこが違うのか?長崎ちゃんぽんは豚や鶏ガラ等でとる
白濁した、どちらかと言えば「こってり味」スープだが、
八幡浜ちゃんぽんは、鶏ガラや魚をベースにした「あっさり味」
スープが一般的!しかし、須崎の「鍋焼きラーメン」のように
全店が「定義」を決めて統一しているのではなく、ダシに昆布や
カツオ節を加えたり、カレー風味・イタリア風など店ごとに特徴がある。
また、八幡浜特産の「じゃこ天」(小魚のすり身の揚げ物)や
かまぼこ(これも八幡浜の特産)をトッピングしている店もあり、
長崎とはちょっと違った味わいが楽しめる。

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今回の店は「ちゃんぽん亭イーグル」商店街近くにある。
この店の先代が「八幡浜ちゃんぽん」の創始者の一人だという。
中華料理に洋食と和食を融合させて完成させたというちゃんぽん。
(八幡浜にはちゃんぽん専門店は少なく、中華料理店や大衆食堂
喫茶店、さらには寿司屋等でも食べることができる)

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ちゃんぽんと焼き飯を注文。
ちゃんぽんは、太めのストレート麺。鶏ガラで取ったスープに
キャベツ・玉ねぎ・人参・ねぎ・もやし・豚肉がのる。
野菜がシャキシャキとし、あっさり味のスープにあう。
とってもヘルシーで女性にもお勧め!
焼き飯は見た目は味が濃いそうだが、一口食べて予想は覆された。
ねぎと焼き豚と揚げたニンニクが食欲をそそる。あっという間に完食!
●ちゃんぽん・550円 ●焼き飯・550円

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薬師寺(やくしじ) 

薬師寺(やくしじ)

奈良時代にさかのぼる唯一の建物!
yakusiji-to.jpg 東塔(国宝)
総高34.1m(相輪含む)で、日本に現存する江戸時代以前に
建てられた仏塔としては、東寺・興福寺・醍醐寺の各五重塔に
次ぎ4番目の高さ。屋根の形を見ると一見六重の塔に見えるが、
下から一・三・五番の屋根は裳階(もこし)と呼ばれるもので、
構造的には三重の塔である。

yakusiji-sinto.jpg 西塔
東塔と対照的な位置に立つ。旧塔は亨禄元年(1528)に焼失。
現在の塔は、1981年に再建されたもの。
一見すると東塔より若干高く見えるが、1300年のうちに、材木
の撓みと基礎の沈下が起きたためで、再建された西塔は
そのような年月の経過がないためだという。
500年後には西塔も東塔と同じ高さに落ち着くとのこと。

シルクロードが奈良まで続いていた!
本尊・薬師三尊像(国宝)
中尊は薬師如来、脇侍に日光菩薩(にっこうぼさつ)と
月光菩薩(がっこうぼさつ)を配する。
日本の仏教彫刻が中国の影響を受けつつ、独自の様式を
完成した奈良時代の最高傑作の一つとして名高いものである。
薬師如来の台座には、一番上の框(かまち)には、ギリシャの
葡萄唐草文様(ぶどうからくさもんよう)、その下にはペルシャの
蓮華文様(れんげもんよう)が見られ、中央にはインドから伝わった
力神(蕃人・ばんじん)の裸像が、さらに下框には中国の四方四神
青龍・朱雀・白虎・玄武の彫刻がみられる。
他にも国宝・重要文化財が数多くみられる。

薬師寺 

薬師寺(やくしじ)
1998年、古都奈良の文化財の一部として
世界遺産に登録!南都七大寺の一つ。


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法相宗大本山 本尊/薬師如来(薬師三尊・国宝
「日本書紀」によると、天武天皇9年(680)天武天皇が、後の
持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願し
飛鳥の地に創建したとされる。天武天皇は寺の完成を見ずに没し、
持統天皇、文武天皇の時代に引き継がれた。文武天皇2年(698)
には寺の造営がほぼ完成したという。

和銅3年(710)の平城京遷都に際して、飛鳥から移転。
東塔(三重塔)が完成したのが天平2年(730)のことで、
そのころまで造営が続いていたと思われる。
天禄4年(973)の火災と、亨禄元年(1528)の兵火で多くの建物を
失い、現在、奈良時代の建物は東塔(国宝)を残すのみである。
その後、豊臣家が仮の金堂を建て、本格的な再建に取りかかる
予定であったが、豊臣家滅亡等の事情で400年近く仮堂であった。

20世紀半ばまでの薬師寺は仮再建の金堂、講堂がわびしく建ち、
創建当時の伽藍をしのばせるものは東塔だけであった。
1960年以降、管長であった高田好胤(たかだこういん)が中心
となって、昭和46年(1971)金堂の起工式を行い、昭和51年
4月に白鳳時代様式の金堂として再興。西塔・中門・回廊の一部・
大講堂等次々と再建された。

金堂本尊「薬師三尊像」は、「日本書紀」に「持統天皇2年(688)
薬師寺にて無遮大会(むしゃだいえ)が行われた」との記述があり、
この年までに造立されて、後に平城薬師寺に移されたという説と、
様式や鋳造技法の面から、平城移転後の新造とする説もあり、
現在でも決着はついていない。



室生寺(むろうじ) 

宀一山 室生寺 (べんいちさん むろうじ)
女人高野と呼ばれる寺!
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真言宗室生寺派総本山 本尊は釈迦如来

奈良時代末期の宝亀年間(770~780)時の東宮・山部親王(のちの
桓武天皇)の病気平癒のため、室生の地において延寿の法を
修したところ、竜神の力で見事に回復したので、興福寺の僧・
賢(けんきょう)が朝廷の命でここに寺院を造ることになったという。
賢は延暦12年(793)没し、造営は弟子の修円に引き継がれた。
現存の堂塔のうち、この時期(9世紀前半)にまでさかのぼれるのは
五重塔のみであり、現在のような伽藍が整うまでには相当の年数を
要したものと思われる。
草創にかかわった2人の人物が興福寺の僧であった関係から、
長らく興福寺との関係が深かったが江戸時代の元禄11年(1698)、
興福寺の法相宗から独立して、真言宗となった。
また、女性の入山が許されたことから「女人高野」と呼ばれ、
室生寺の代名詞にもなっている。

murouji-gojyunoto.jpg 国宝 五重塔

五重塔は、その比類のない美しさで有名!
800年ごろの建立で木部を朱塗りとする。屋外にある五重塔としては
法隆寺の塔に次いで日本で二番目に古く、国宝・重要文化財指定の
木造五重塔で屋外にあるものとしては日本最小である。
高さは16m強、初重は一辺の長さ2.5mの小型の塔である。
通常の五重塔は初重から一番上の五重目に向けて屋根の出が
次第に小さくなるが、この党はあまり大きさが変わらない。
他に、屋根の出が深く、厚みがある。屋根勾配がゆるい。
小規模な塔の割に柱が太い等が特徴。これらは、石段の下から
塔を見上げた時の視覚効果を考えたものと思われる。
この五重塔は1998年9月22日、台風7号の強風で近くの杉の
大木が倒れ屋根を直撃、大被害を受けた。幸い、心柱等根幹部は
倒壊せずに残ったため1999年から2000年にかけて修復。
元の姿を取り返した。この際に、塔の部材を調べたところ、
794年ころに伐採したものと判明。また屋根は檜皮葺きではなく、
当初は板葺きであったことも分かった。

その他、本堂・金堂・十一面観音立像などが国宝となっている
のをはじめ、すぐれた建築物・仏像が数多くある。

東寺(教王護国寺) その3 

東寺(教王護国寺) その3
平成6年12月15日世界遺産に登録!
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大師堂(国宝)は、伽藍の西北部にあり弘法大師が住房としていた
「西院」と呼ばれる一角に建つ。前堂、後堂、中門の3部分からなる
複合仏堂で、総檜皮葺きの屋根がその優美さを際立たせている。
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当初の堂は、康暦元年(1379)の火災により焼失。
翌年に後堂部分が再建。後堂には大師の念持仏不動明王像
(国宝・秘仏)が安置されている。明徳元年(1390)には北側に、
弘法大師像(国宝)を安置するために前堂、その西側に中門が
増築され現在の姿となる。この弘法大師像は庶民の信仰を
広く集めていて、像の前では毎朝6時に「お大師様」に
朝食を捧げる「生身供(しょうしんく)」が執り行われ、多くの
参拝者が集まる。

noukyou-toji.jpg 東寺の納経

弘法さん/毎月21日、大師の命日に催される京都の風物詩。
境内には千軒以上の露店が並び、20万人以上の人出で賑う。
これは大師に寄せる民衆の信頼の深さを表しているといえる。






東寺(教王護国寺) その2 

東寺(教王護国寺) その2
「身は高野、心は東寺におさめをく」
東寺の伽藍は南大門を入って金堂講堂、少し隔てて食堂が
一直線におかれ、左右に五重塔と灌頂院が配置されている。
塀で区画された境内は、そのままマンダラであり浄土であるという。

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金堂(国宝)は東寺の中心堂宇で、諸堂宇の中で最も早く建設が
始められ、空海に下賜された弘仁14年(823)までには完成して
いたといわれる。当初の堂は文明18年(1486)の土一揆で焼失。
現在の建物は慶長8年(1603)年豊臣秀頼の寄進によって
再建されたもの。天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風の
みなぎる桃山時代の代表的建築。また、細部には唐・和風の
技術も巧みにとり入れられている。
内部には、本尊の薬師如来坐像と日光・月光菩薩の両脇侍像が
安置されている。中尊の光背上には七仏薬師像を配し、台座の
周囲には十二神将像が配される。台座と光背を含めた総高は
10mに達する巨像で、桃山時代の仏師康正の作で密教的な
薬師信仰の形をとどめている。(重要文化財)

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講堂(重要文化財)は創建当時にはなく天長2年(825)に空海により
着工。承和2年(835)頃完成したが、文明18年(1486)の土一揆
による火災で焼失。室町時代の延徳3年(1491)に再建されたのが
現在の建物で、様式も純和様で優美な姿を保っている。
堂内の白亜の壇上には大日如来を中心とした五智如来をはじめ、
五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の21体の仏像が
安置されている。これは弘法大師の教えを表現する「立体曼陀羅」
を構成している。21体の仏像のうち、五仏(重要文化財)と
五大菩薩の中尊像の6体は、室町時代から江戸時代の補作だが
残りの15体は、平安時代前期を代表する密教彫像として、
国宝に指定されている。

東寺(教王護国寺) 

東寺(教王護国寺)
唯一残る平安京の遺構!
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東寺真言宗総本山。本尊は薬師如来。
延暦13年(794)平安遷都にともない、桓武天皇は、新都鎮護のため
都の南、平安京の正面に当たる羅城門の東西に大寺院を建立し、
東寺」「西寺」と呼んだ。(ちなみに西寺は」廃絶して今はない。)
☆現在の京都は御所をはじめとして、大部分が東方にずれて
しまっているが、東寺は元の場所にそのまま残っている。

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法人名としては「教王護国寺」が正式ではあるが、東寺という名称も
通称・俗称ではなく創建当時から使われてきた歴史的名称である。
南大門の石柱には「真言宗総本山 東寺」とあり、各門に掲げられた
提灯にも「東寺」とある。寺側でも通常は「東寺」の呼称を使用している。

寺伝によると延暦15年(796)に建立されたとある。
それから20数年後の弘仁14年(823)、弘法大師空海は嵯峨天皇より
東寺を賜った。この時から東寺は国家鎮護の寺院であるとともに、
真言密教の根本道場となった。
以来、後白河法皇、源頼朝、織田、豊臣、徳川の各氏らの外護を
受けてきたが、落雷や兵火によって創建当時の建物は残っていない。

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列車が京都に着く直前に、車窓から壮大な五重塔が見えてくる。
京都に着いたことを教えてくれているかのようだが、この五重塔こそ、
京都のシンボルといわれる東寺の五重塔なのである。
touji-gojyunoto2.jpg (国宝五重塔
高さ54.8m。木造塔としては日本一の高さを誇る。
雷火や不審火で4回焼失しており、現在の5代目の塔は、寛永21年
(1644)徳川家光の寄進で建てられたもの。
心柱を大日如来とみなしており、これを中心にして金剛界四仏像と
八大菩薩像を安置する。江戸時代初期の作風。

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にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました