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2009年05月の記事一覧

さをり織り(さき織り)2 

さをり織り(さき織り)2
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これが織り機。縦糸を張って横糸に着物や布地の裂いた物を使う。
この生地を使って、バッグや小物から服までいろいろ作っている。
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自分が想像していたように織れたり、予想を超えるものができたり
また反対に、これはちょっと?という作品ができたり、それが楽しい!
上の写真は「春らしいイメージで作った」と本人は言っていますが・・・。
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同じ縦糸を使ってもこんなふうに違う作品ができるのも面白い。

また「さき織り」ではないが、古い着物や布をリメイクして
いろいろ作っている人もいる。
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写真ではちょっと地味に見えるが、「粋」という言葉がぴったり!
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毎月第三日曜日、午前8:00~正午まで道後にぎたつ通りの
日曜市に出品中!(出品者/二神さん)
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こんな小物入れや、携帯ケース等、掘り出し物があるかもね?

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嵯峨釈迦堂 

嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)
正式名は「五台山清涼寺」
本尊の釈迦如来にちなみ「釈迦堂」と呼ばれるが、
千本釈迦堂と区別するため嵯峨釈迦堂の名で親しまれている。
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本尊の釈迦如来は国宝で日本三如来の一つに数えられる。
この像は釈迦37歳の生き姿を刻んだものと言われる。

昔、お釈迦さまが生母である摩耶夫人(まやぶにん)に法を説くために
忉利天(とうりてん)にのぼられたとき、時の優塡王(うてんのう)や
弟子達は嘆き悲しみ、栴檀の香木で釈迦生身の像を造らせたという。
90日後お釈迦さまが戻ってこられ、自分と寸分違わぬ像をご覧になり、
「私が亡きあとはこの像が私に替って衆生を済度するであろう」と
言って大層お喜びになったという話が残っている。
後のこの像はインドから中国へ伝えられた。
中国に渡った奈良東大寺の僧、然(ちょうねん)上人は、寛和元年
(985)その像を模刻し、日本に持ち帰った。
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昭和28年、この釈迦如来の体内より絹で作られた「五臓六腑」が
発見された。これは中国において千年の昔に人間の体の構造を
知っていたことを示すもので、貴重な史料であるという。
もちろんすべて国宝に指定されている。
他にも、国宝、重要文化財等数多くある。
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松尾大社 

松尾大社(まつおたいしゃ)
京都最古の神社!
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●御祭神/大山咋神(おおやまぐいのかみ)
       中津島姫命(なかつしまひめのみこと)
●御神徳/京都洛西の総氏神として氏子の崇敬を集めるほか、
       開拓・治水・建築・商業・文化・寿命・交通・安産の
       守護神として仰がれ、特に醸造の祖神として、全国の
       酒造家、味噌、醤油、酢等の製造及び販売業者から
       特別な崇敬を受けている。
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神輿庫の酒樽(全国の酒造家より奉献された樽が並ぶ)

●御由来/この地方一帯の住民が、松尾山の神霊を祀って
       生活守護神としたのが始まり。
       五世紀頃朝鮮から渡来した秦氏がこの地に移住し
       山城・丹波の両国を開拓し、河川を治めて農産林業を
       興し、同時に松尾の神を氏族の総氏神と仰ぎ、文武天皇の
       大宝元年(701)には現在地に社殿を造営したという。

●宝物/御神像三体(男神像二体、女神像一体)は、平安初期の作で
      三体とも等身大坐像の一本造り。わが国神像中最古最優品
      として重要文化財に指定されている。
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●社殿/本殿は、大宝元年に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が
      勅命を奉じて創建。以来、皇室や幕府の手で改築され、
      現在のものは、室町初期の応永四年(1397)の建造。
      天文十一年(1542)に大修理が施された。
      その特殊な造りは「松尾造り」と称せられる。重要文化財。

●松風苑/松風苑の三つの庭は明治以後における現代最高の
       芸術作品として知られる。
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(昭和四十九年四月着工、五十年五月完成)
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ミステリー? 

ミステリーゾーン
源平合戦で有名な香川の、そして瀬戸内海国立公園の
中心地?である屋島ミステリーゾーンが存在する。
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展望台として絶好の位置と高さを誇り、その風景は雄大で壮観。
源平合戦にまつわる話も多く残る観光地である。
四国八十八ヵ所の第八十四番札所でもあり、観光客・お遍路さんで
賑う場所だ。

この屋島ミステリーゾーンが存在するという。
それは屋島ドライブウェイの料金所から1800mの場所にあった。
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写真の道路「上ってる?下っている?」
下っているように見えるのですが、恐ろしい?ことに実は上っています。
缶や丸い物を置いてみると、向こうへ転がらずこちらへ来ます。
一度試してみては?
※ただ、ここは自動車専用道路なので十分注意が必要!

高野山7(奥の院2) 

高野山7奥の院2)
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高野山に残る話を一つ・・・
延喜21年(921)10月27日、観賢(かんげん)僧正たちの尽力により
空海に「弘法大師」という諡号(しごう)が、寛平法王より下賜(かし)
されることとなり、勅使とともに御廟に詣でられました。
観賢僧正は廟窟(びょうくつ)を開いて、禅定に入っておられた大師の
尊容を拝します。すると、髪の毛は長く伸びきって、法衣はボロボロで
あった。そこで頭髪を剃って、下賜された檜皮(ひわだ)色の法衣に
更衣しました。と、ここまでは有名な話ですが、この話には続きがあります。

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勅使お付きの人夫が大師御廟参詣の後、帰ろうとすると、弘法大師
御廟橋まで送ってくれたという。不思議に思って観賢僧正に「どうして
大師は人夫の者までわざわざ送ってくださるのか?」と問うと、
観賢僧正は、「弘法大師は人の身分の上下でお送りしているのではなく
すべての人が持っている仏性(ぶっしょう)に対してお送りしています。
これは大師の御誓願で、未来永劫御廟へ参る者があれば、信心が
ある人も無い人も必ず橋の袂までお送りされる。特に一心に信心
するものは、必ずや願いをかなえ、諸仏の浄土にお送りすると・・・」
と答えられたという。今でも奥の院に参詣する人達は必ず橋を渡った後、
振り返って一礼します。

noukyou-kouyasan-okunoin.jpg  高野山奥の院納経

高野山6(奥の院) 

高野山6奥の院)
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奥の院には、弘法大師の御廟と灯籠堂がある。
参道には、皇室・公家・大名等の墓が多数並び、
その総数は正確には把握できていないと言われるが、
20万基以上はあると言われている。
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(写真は結城秀康の墓)

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(写真は浅野内匠頭の墓)
武田信玄・上杉謙信・石田三成・明智光秀・織田信長・豊臣家等
戦国大名の6割以上の墓所がある。
(その理由は「弘法大師と高野さん2」に書いてあります。)

また、宗派を越えて「法然上人」や「親鸞」の墓もある。
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(写真は法然上人の墓)

奥の院の入り口は、一の橋と中の橋の2ヶ所あるが、
正式には一の橋から参拝する。
一の橋から御廟まで2kmの道のりとなっている。
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御廟橋(みみょうのはし)で一礼して渡ると、弘法大師の御廟。
多くの人々が訪れ、読経の声、灯明・御香の煙が絶えることはない。
この御廟橋の橋板は、三十六枚あって、それぞれに金剛曼荼羅尊の
代表37尊の諸仏諸菩薩の象徴、種子(しゅじ)というものが梵字で
板裏に彫られている。枚数が一枚足らないのは、橋全体を一つと
見ているからだそうです。
本来は、御廟橋の下に流れる玉川で手足を清め、奥の院へと
進んだのだそうです。、現在ではそのようなことはしないが、
「橋の手前で一礼し、参拝後、再度一礼する」とされている。

香川のお土産?! 

香川のお土産?!
香川には「灸まん」と並んで有名なお菓子がある。それが「かまど」!
お土産を売っているところには、必ずと言っていいくらい置いてある。
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餡はしっとりとした、甘さを抑えた黄味餡。
生地は卵を練りこんだ豊かな味。万人受けする味!
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●かまどの由来(包装にあるものをご紹介)
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天平の昔、行基菩薩が讃岐の国を訪れた時、天日にさらした
昔ながらの製塩法を見て、「かまどを」浜辺に造り、
新しい製塩法を教えたという。この故事から生まれたもの。




骨付鳥一鶴2 

骨付鳥一鶴(屋島店)
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前回紹介した骨付鳥一鶴の屋島店!
国道11号線から屋島への入り口、コトデンの線路を越えると左にある。
(前回は、食べることに夢中で写真を撮り忘れたので
今回は一番に撮りました)

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アツアツの骨付鳥が出てきたら、紙ナプキンで骨の部分を包み、
豪快に「ガブッ!」と食べる!時々キャベツを食べるのを忘れないで。

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おむすびやキャベツはとりの「タレ」につけて食べる。
皮は「パリッと中はジューシー」あっという間に完食!

●屋島店/営業時間・平日11:00~14:00 16:00~22:00
               土・日・祝11:00~22:00
●定休日/無休

高野山5(金剛峯寺) 

高野山 金剛峯寺
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高野山真言宗の総本山で座主の住寺。
金剛峯寺は元は高野山全体を指すものだが、現在では
この高野山真言宗総本山を指す。
この建物も再三の火災により焼失。現在の建物は文久3年
(1863)に再建されたもの。

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春にはしだれ桜が迎えてくれる正門は、金剛峯寺の建物の中で
一番古く、文禄2年(1593)に再建されたもの。
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写真では分かりにくいが、右のほうに小さな入口がある。
このくぐり戸は一般の僧侶が使用していて、昔はこの門を
正面から出入りできたのは天皇・皇族・高野山の重鎮だけだった。
もちろん、今は一般参拝の方も正面から入ることができます。

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金剛峯寺の屋根は檜の皮を何枚も重ねた桧皮葺(ひわだぶき)に
なっています。その屋根の上に、天水桶という桶が置かれている。
普段から雨水を溜めておき、火災が発生したときに、火の粉が飛んで
屋根が燃えないように水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める
役目を果たすもの。
かつては高野山全域で見られたが、今も置かれているのはここのみ。

noukyou-kouyasan-hondo.jpg 金剛峯寺納経



高野山4 

高野山4壇上伽藍の続き)
根本大塔(こんぽんだいとう)
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伽藍の中心の塔。816年高野山開創の頃より着手し、
大師と真然の二代を費やして完成した。
現在の塔は昭和12年再建。外壁の塗り替えは平成8年完成。
高さ約50m、四面30m。中央に胎蔵大日如来、四方に金剛界四仏、
周囲16本の柱には、堂本印象画伯筆の十六大菩薩を配して
曼荼羅を立体に顕す。壁には同画伯筆の八祖大師を描く。
北側の多聞天と持国天は、江戸時代後期の作で、本来は
中門両脇の像だが、現在は大塔内に仮安置されている。

●御影堂(みえどう)
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元は大師の持仏堂だったが、大師のご入定後、実恵僧都が
師の御影を安置する堂とした。旧暦3月21日旧正御影供の前日
御逮夜の時には、年一度だけ内拝ができる。

●山王院(さんのういん)
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御社の拝殿で1171年以前の創建。現在の堂は1845年の再建。

●御社(みやしろ)
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高野山開創にあたり、大師は結界守護のため、丹生・高野(狩場)
両大明神を現在の地に勧請した。(819年)
当山の地主神である丹生・高野両大明神を祀る本殿2社、十二王子
及び百二十伴神を祀る3社からなる。後に行勝上人が気比明神、
厳島明神を勧請し四社明神とした。現在の社殿3棟は、1552年
の再建。(重要文化財)

他にも、西塔・東塔等たくさんの建造物がある。
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高野山3 

高野山3
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標高約1000mの高さにあり、弘法大師が修行の場として開いた。
比叡山と並び日本仏教における聖地。
ただ、高野山という名称の山はない。(高野山真言宗総本山
金剛峯寺の山号である)
高野山は真言密教を具現化する壇上伽藍。
総本山金剛峯寺などからなる本中院谷。
そして、弘法大師御廟や数多くの墓が並ぶ奥の院に分かれている。

●根本道場大伽藍
●金堂
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伽藍とは梵語(サンスクリット)の音訳で、僧侶が集い修業をする
閑静静寂な場所という意味。
弘法大師は高野山の造営にあたり壇上伽藍から始めたという。
曼荼羅の思想に基づいて金堂や根本大塔などが配置されている。
金堂は、高野山全体の総本堂で、高野山の年中行事のここで
執り行われる。本尊と両部曼荼羅を修法する3壇を持つ密教の大堂。
現在の堂は昭和7年再建、昭和9年落慶。四隅の八供養菩薩と
裏堂の壁画は、木村武山画伯の筆。両部曼荼羅は、平清盛が
自らの額を割った血で中尊を描かせた「血曼荼羅」である。
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●対面桜
金堂へ上がったところにあるこの桜には逸話が残っている。
大塔が二度目の火災に遭い、その再建の奉行に「平清盛」があたり
造修工事が終わり登山された折、この桜に弘法大師が現れ、
その功を讃えられたという。

●三鈷の松(さんこのまつ)
金堂のすぐ裏にあり、松葉が三本という珍しい松。
大師が、唐から伽藍建立の地を占うために投げた三鈷が掛った
と伝えられる松。

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にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました