admin≫
2009年04月の記事一覧

根来寺2 

根来寺2
negoro-daihaku2.jpg
天正13年(1585)秀吉による根来攻めで大塔・大師堂以外は焼失。
現在の建物のすべては、江戸時代徳川家の外護を受けて復興。

negoro-koumyo1.jpg
●光明真言殿
享和元年(1801)に建立し、開山・興教大師像を安置。

negoro-syotendo1.jpg
●聖天堂
浄土池に浮かぶ堂で、聖天尊を安置。
堂正面の朱塗りの壇は、有名な「根来塗」で古くから伝わるもの。

negoro-fudodo1.jpg
●不動堂
嘉永3年(1850)の建立。
「三国一のきりもみ不動」で有名な不動尊が本尊。
興教大師が難に遭われた時に身代わりとなって上人を守ったという。
最近では、交通安全・厄除祈願の身代わり不動さんとして有名。
和歌山県指定文化財。正面は正八角形で、外廻り柱は八角形、
内廻り柱は円柱、八角円堂として貴重な建物。

他にも、嘉永3年に再建された「大門」高さ16.88m、横幅17.63m、
奥行き6mの堂々とした門や行者堂、奥の院等貴重な建物や
国から名勝と指定された庭園など、見るものが多い。

スポンサーサイト

きびだんご 

きびだんご
前回に漫才コンビのB&Bのネタで「もみじ饅頭」を紹介したが
相方の岡山にだってきびだんごがある。
(もちろん漫才では「きびだんご」は「もみじ饅頭」の迫力の前に
とても太刀打ちできないのだが・・・)
kibidanngo.jpg
最近ではマスカットや黒ごま、あん入等、いろいろな味が楽しめる。

この「きびだんご」は岡山に伝わる「桃太郎伝説」が由来だという。
日本全国に「桃太郎伝説」があるが、岡山に残る話を紹介!

孝霊天皇の皇子・吉備津彦命による「温羅(うら)退治」の話。
百済から来た王子・温羅は、備中新山(現在の総社市)に
居城「鬼の城」を構え、船を襲うなど暴れまわっていました。
その乱暴ぶりを朝廷に訴えたところ、吉備津彦命が派遣され、
見事鬼を征伐。その鬼と闘っている最中、老漁夫が命に
きびだんご」を献上したという。
岡山は昔から黍の産地でもあったことも「桃太郎伝説」発祥の地
とされる理由の一つだという。

温羅(うら)の名誉のために・・・
大和朝廷の支配を固めるために、朝廷に叛くものには
大軍を送り力で制圧した。温羅はその一人だったという。

根来寺 

根来寺(ねごろじ)
新義真言宗総本山
真言宗中興の祖・興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん)が
大治5年(1130)に高野山中に真言教学研鑽のための
伝法院を建てたことに由来する。

negoro-1.jpg
鳥羽上皇の外護を受けた覚鑁は、大伝法院を建てるとともに、
荘園を下賜されたが、覚鑁の名声があがるにつれ金剛峯寺の
衆徒と対立し、保延6年(1140)根来に移り康治2年(1143)に
この地でその生涯を閉じた。

negoro-daihaku1.jpg
正応元年(1288)頼瑜(らいゆ)僧正が、高野山から大伝法院を
現在地に移し、新義真言宗の宗門を樹立、根来寺の基礎が固められた。
以後、新義真言教学の中心地として発展し、山内寺院は2700以上、
寺領72万石の規模を持ち、全国から学問を志す僧侶が集まったという。
また、僧兵は勇猛を誇り、1万人を超え鉄砲隊を有するほどの勢力になった。
しかし、天正13年(1585)の秀吉の紀州攻めに敗れ、大伝法院の一角と
一部の堂塔を残して焼失してしまう。

negoro-daito1.jpg (国宝大塔)
真言密教の教義を形の上で示したもの。
明応5年(1496)に建立され、日本最大の木造多宝塔で、明治32年に
国宝に指定された。秀吉の紀州攻めの焼き打ちから残ったものだが
その頃の戦乱の弾痕がはっきりと見られる。
高さ40m・横幅15m

negoro-daisido1.jpg
大師堂も天正の兵火から残ったもので、創建は大塔と同時代で、
室町時代の代表的様式を伝える。
内部の須弥壇と併せて重要文化財に指定されている。

千本釈迦堂 

千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)
sennbonn-1.jpg
正式名は「大報恩寺(だいほうおんじ)」
寺の歴史は古く、鎌倉時代の中期の貞応二年(1223)に、
求法義空上人が釈迦念仏の道場として釈迦如来像、十大弟子像を
安置したのが始まりと伝えられている。
本尊の釈迦如来にちなんで釈迦堂と呼ばれるが、嵯峨釈迦堂(清涼寺)と
区別するため千本釈迦堂と呼ばれる。
この千本とは、近くを南北に走る千本通りを指すが、その由来は
定かではなく、大路の両側に立ち並んだ千本の卒塔婆だとか、
千本の桜とも、千本の松並木が連なっていたかだとか諸説ある。

千本釈迦堂は「おかめ塚」の話が伝わる寺としても有名!
sennbonn-2.jpg
義空上人が大報恩寺の本堂を建立するにあたり、名大工として
名声を馳せていた長井飛騨守高次を総棟梁に選んだ。
高次は、本堂を支える大事な柱の内の一本を短く切り落として
しまいました。途方に暮れる高次に、妻の阿亀(おかめ)が
「柱を短く揃え、桝組(ますぐみ)を入れて高さを合わせれば・・・」と
アドバイスし、高次は無事本堂建築の大任を果たすことができました。
しかし、おかめは「女の知恵を借りて完成させたと言われては
主人の恥になる」と本堂の完成を待たずに自害してしまいました。
高次は上棟の日、妻の冥福とお堂の無事を祈って、おかめの面を
御幣につけて飾ったと言われています。
この話を伝え聞いた人々が、貞淑で如才に長けた「おかめ」の
菩提を弔うために境内に「おかめ供養塔」を建立したという。
今でも大工の信仰を集め、上棟式には「お多福の面」をつけた
御幣が飾られるようになったと伝えられる。

この本堂は、応仁の乱、大永の乱、享保の大火でも、その戦禍、
災難を免れ、市内の寺院としては最も古い本堂となっている。
国宝に指定され、柱には応仁の乱の槍や刀傷が残る。
また、12月7・8日に振る舞われる大根炊きは有名。

松山城4 

松山城4
matuyamajyo-sakuratensyu-5n.jpg
松山城歴代の城主
●慶長8年(1603)10月、前年より工事に着手していた城郭に
松山城の創設者、加藤嘉明が正木城(松前)より移る。禄高20万石。
工事はその後も続き、寛永4年(1627)になってようやく一応完成。
しかし完成直前の寛永4年2月会津40万石に転封。(居城年25年)

蒲生氏郷の孫・忠知が出羽国(山形県)上の山城より移封。
二の丸の築造を完成したが、寛永11年8月参勤交代の途中
京都で病死。嗣子がなく断絶。(居城年7年)禄高24万石。

●寛永12年(1635)7月伊勢国(三重県)桑名城主・松平定行
転封。(徳川家康の異父同母弟・松平定勝の子)禄高15万石。
寛永16年(1639)から3年の年月をかけ、築城当時五重であった天守を
三重に改築。以後200余年にわたって松平家が居城。
matuyamajyo-sakuratensyu-1n.jpg

9代定国の天明4年(1784)元旦、落雷により天守焼失。
焼失後37年を経た文政3年、11代定通が天守再建工事に着手。
着工16年、定通の逝去と作業場の火災により頓挫。
弘化4年(1847)12代勝喜が城郭復興に着手。安政元年(1854)
天守が復興した。これが現存の天守。

松山城3 

松山城3
四国最大の名城!21棟の重要文化財を持つ!
その重要文化財のご紹介!
matuyamajyo-sakuratensyu-7n.jpg
大天守
三重三階地下一階の層塔型天守。
江戸時代最後の完全な城郭建築といわれる。
大天守、小天守、隅櫓を廊下で互いに結んだこの建造物群は、
日本の代表的な連立式城郭といわれている。

②三ノ門南櫓
③二ノ門南櫓
④一ノ門南櫓
⑤乾櫓

城の搦手(裏側)を守る。
本丸の乾(北西)の石垣の上に建っている。

⑥野原櫓
乾櫓とともに本丸北西を防備する。
日本で唯一現存する望楼型二重櫓で、天守の原型といわれる。

⑦仕切門
matuyamajyo-sikirimon-n.jpg

⑧三ノ門
⑨二ノ門
⑩一ノ門
⑪紫竹門

matuyamajyo-syutikumon-n.jpg
乾門方面からの侵入に対し防衛する。

⑫隠門
matuyamajyo-kakuremon-n.jpg
筒井門の奥にあり、石垣の陰に隠された門。
戸無門から筒井門に迫る敵の背後を急襲する。

⑬隠門続櫓
⑭戸無門

本丸の大手入口の最初に設けられた門。
門扉がないので戸無門戸と呼ばれる。
柱にも扉を取り付けた痕跡はない。

⑮仕切門内塀
⑯三ノ門東塀
⑰筋鉄門東塀
⑱二ノ門東塀
⑲一ノ門東塀
⑳紫竹門東塀
21紫竹門西塀


matuyamajyo-fukei2-n.jpg
天守から見る桜満開の城内



珍しい? 

珍しい?
少し前のことだが、たぶん「ケンミンショー」(?)という番組で
「愛媛県松山市には珍しい踏切がある!」と愛媛出身の
女性タレントが紹介していたのがコレ!
踏切
市内電車(路面電車)の線路上に郊外電車の踏切がある。
いつも見ている風景なので珍しいものだとは思わなかったのだが
電車が踏切で電車を待つというのは、全国的にも珍しいものらしい。
信号待ちをしているときに、たまたま出会ったので写真を撮りました。

松山城2 

松山城と松山春祭り
松山城は花盛り!
matuyamajyo-sakuratensyu-2n.jpg

松山春祭り(お城まつり)は、毎年4月第一金・土・日
今年(平成21年は4月3日(金)~5日(日)です。
満開の桜の下、松山城を中心に開催される。
松山城小天守の再建の決定を祝い、昭和42年から始められた。
「大名・武者行列」等、市民参加による催し物が市内中心部で
3日間にわたって繰り広げられ、多くの観光客で賑わう。

●4月3日/歌謡チャンピオン大賞(松山市民会館)等
●4月4日/野球拳全国大会(松山城山頂広場)等
●4月5日/大名・武者行列(松山市中心部)等
        (お姫様役・熊田曜子さんです)




(△お好みの文字サイズになるまでクリックしてください)

にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました