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2008年07月の記事一覧

伏見稲荷大社 

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)
伏見稲荷大社は稲荷神を祀る、全国に約4万社ある
稲荷神社の総本山である。
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和銅4年(711)2月壬午の日に、伊侶具秦公(はたのきみのいろく)が
勅命を受け伊奈利山三ヶ峯(稲荷山)に三柱の神を祀ったことに始まる。
(2011年には1300年を迎えるという歴史ある神社)
稲荷神はもともとは農業の神であるが、商売繁盛・産業興隆・
家内安全・交通安全・芸能上達等にご利益があるとされ、
毎年初詣には近畿地方の寺社で最多の参拝者を集め、
2008年の正月三が日の参拝者数は269万といわれる。

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二の鳥居をくぐると豊臣秀吉が1589年に造営した楼門があり
一対の狛犬ならぬ「あうんのお稲荷さん」がむかえてくれる。
向かって右手のお稲荷さんは宝玉を、左手のお稲荷さんは
達成のかぎをくわえている。
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本殿は応仁の乱で焼失したが、明応8年(1499)に再建されたもので
国の重要文化財に指定されている。
本殿から稲荷山への道には有名な千本鳥居がある。
数々の映画やドラマに登場する鳥居。どこまでも続きそうな
真っ赤なトンネルを歩くと、どこか怖いような不思議な感覚だ。
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なぜお稲荷さんに鳥居が多いか?
それは、願い事が「通る」「通った」お礼の意味から、鳥居を奉納する
習慣が広がったからとの事。
伏見稲荷大社の奉納鳥居は1万を超えるという。



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石光山 石山寺 

石山寺(いしやまでら)
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石山寺は琵琶湖の南端に位置し、
琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。
国指定天然記念物の硅灰石の巨大な岩盤の上に立ち、
これが寺名の由来ともなっている。
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●本尊/如意輪観音
●宗派/東寺真言宗 ●開基/良弁(勅願・聖武天皇)


天平19年(747)に聖武天皇の発願により、
良弁(ろうべん、東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった
如意輪観音を祀ったのがこの寺の初めとされる。
聖武天皇は、東大寺の大仏の造立にあたり、像の表面に
鍍金(金メッキ)を施すために大量の「金」を必要としていた。
そこで良弁に命じて、「金」が得られるよう、吉野の金峯山(きんぷせん)
に祈らせた。金峯山はその名の通り「金の山」と信じられていた。
そうしたところ、良弁の夢に金剛蔵王(蔵王権現)が現れ、
「金峯山の黄金は、弥勒菩薩がこの世に現れた時に地を
黄金で覆うために用いるものである。(だから今は使えない)
近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現れたまう土地がある。
そこへ行って祈るがよい」と伝えたという。
良弁はお告げにしたがって石山の地を訪れ、巨大な岩の上に
如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。
その2年後、陸奥国から「金」が産出され元号も天平勝宝と改めた。
こうして無事に効果を現した如意輪観音だが、どうしたわけか
岩山から離れなくなってしまったという。
やむなく如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。
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現在の本堂(国宝)は永長元年(1096)の再建。
(滋賀県下最古の建築である)
本堂は正堂、合の間、礼堂からなる。合の間、礼堂は
淀殿の寄進で慶長7年(1602)に建立されたもの。
合の間の東端は「紫式部源氏の間」と称され、執筆中の
紫式部の像が安置されている。
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多宝塔は、建久5年(1194)建立で、年代の明らかなものとしては
日本最古のもので国宝に指定されている。内部には快慶作の大日如来を安置。
東大門(重要文化財)とともに源頼朝の寄進により建てられたものとされる。
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石山寺は多くの文学作品に登場する。
「枕草子」には『寺は壺坂。笠置。法輪。霊山は、
釈迦仏の御すみかなるがあはれなるなり。石山。粉河。志賀』とある。
「蜻蛉日記」(藤原道綱母)では天禄元年(970)7月の記事に登場。
「更級日記」の筆者・菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)も
長保3年(1001)石山寺に参篭している。
紫式部が「源氏物語」の着想を得たのも石山寺とされている。
紫式部が石山寺に参篭した際、八月十五夜の名月の晩に、
「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされる。

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現存12天守(その4) 彦根城 

国宝彦根城
国宝に指定されている現存天守のある4城の一つ
別名「金亀城(こんきじょう)」
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多くの大老を輩出した譜代大名の名門、彦根藩井伊氏14代の居城。
徳川四天王の一人・井伊直政は慶長5年(1600)関が原の戦いの後
その軍功により18万石にて近江国北東部に封じられ、佐和山城に入城。
直政は、石田三成の居城であったことを嫌い、湖岸に近い磯山に居城を
移すことを計画していたが、慶長7年(1602)死去した。
その後、直継が家督を継いだが幼少であったため、直政の遺臣が
慶長8年(1603)琵琶湖に浮かぶ彦根山(金亀山・現在の場所)に
彦根城の築城を開始した。
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長浜城・佐和山城・大津城など近隣の城の遺材を転用した。
慶長11年(1606)二期までの工事が完了、慶長12年の
天守完成と同時に直継が入城。
元和2年(1616)第三期工事が開始。元和8年(1622)
全ての工事が完了し彦根城が完成した。
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嘉永7年(1854)に天秤櫓の大修理が行われ、石垣の半分が積み直され
橋の手前下の石垣が築城当時からの「ごぼう積み」向こう側が
新たに積み直された「落とし積み」となっている。
(天守へ登るにはこの橋の下を通るので見てください。)
井伊氏は加増を重ね最終的には譜代最高となる35万石になっている。
幕末の大老を務めた井伊直弼が、藩主となるまでの間に過ごした屋敷は
「埋木舎(うもれぎのや)」として現存している。

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天守等7棟が昭和26年に重要文化財に指定。
うち2棟(天守、附櫓及び多聞櫓)が昭和27年に国宝に指定された。
昭和26年6月9日に国の特別史跡に指定された。
これは姫路城の指定より5年も早い。
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また「武士の一分」「大奥」等、
数多くの映画・ドラマのロケ地としても使われている。

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天守からは彦根の町並みや琵琶湖が一望でき
四季折々の眺望は素晴しい。


讃岐うどん4 

讃岐うどん4
讃岐うどんにはなぜか無性に食べたくなるうどんがある。
それが「醤油うどん」だったり「釜揚げ」だったりする。
その一つが今回行った「がもう」の「きつねうどん」だ。
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田園風景の広がる中にポツンと小さなうどん屋さんがある。
(要するに、田んぼの真ん中にある店だ)
最近駐車場が広がって車を止めやすくなったが、相変わらず
入り口の道路は狭い。
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ここのおすすめトッピングは「大きなあげ」だ。
コシのある麺、いりこの香りのする旨いダシ、そしてちょっと甘めで
それでいて、でしゃばらず、うどんとダシの旨みを引き出す「あげ」
もう、満足の一品!
これでうどん130円(小)あげ80円、合計210円だから言うことなし!

普通の日でも昼時はいっぱいになるので、早めに出かけよう。
この日も月曜日だったが朝早く(9時すぎ)から、県外ナンバーの
車がけっこう来ていました。

金毘羅さん2 「七夕蹴鞠」 

金毘羅「七夕蹴鞠」
七夕の日に鞠場(表書院)にて「七夕蹴鞠」が行われました。
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たまたま通りがかりに、普段は入れないところが開いていて
「七夕蹴鞠」ご自由に見学ください。とあったので入ってみました。
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金毘羅宮蹴鞠会の会員による「七夕蹴鞠」が行われていました。
会員の皆様は昔ながらのいでたちで、優雅に?蹴鞠をしていました。
「鞠」はサッカーボールのように跳ねないのでけっこう強く蹴らないと
上がらず見かけよりは大変そうでした。
毎年七夕の日の10:00~正午に、表書院にて行われるそうです。
来年は行ってみては・・・?

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余談ですが、本宮まで785段ある長~い石段の第一歩がここです。

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にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました