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真言宗十八本山の記事一覧

真言宗十八本山第十七番 根来寺 

真言宗十八本山第十七番 
新義真言宗の総本山
根来寺(ねごろじ)
根来寺-1

●宗派/新義真言宗総本山
●本尊/大日如来 ●開基/覚鑁(興教大師)

●和歌山県岩出市根来2286

正式には「一乗山大伝法院根来寺」と称し、新義真言宗
総本山である。
平安時代後期、高野山の学僧覚鑁(かくばん)が大治5年
(1130)に高野山内に堂を建て伝法院と称した。
鳥羽上皇の庇護の下荘園等を賜り、高野山において
大伝法院は大いに隆盛をしたという。長承3年(1132)、
覚鑁は金剛峯寺座主に就任したが、高野山内の一部の
衆徒たちとの間に確執を生じ、保延6年(1140)に根来に
移ることとなった。
根来寺-daihaku2
覚鑁は3年後に49歳の生涯を閉じたが、正応元年(1288)
頼瑜(らいゆ)僧正が大伝法院の寺籍を根来に移したという。
根来寺-koumyo1
室町時代末期には最盛期を迎え、一大宗教都市を形成し、
根来衆と呼ばれる僧兵1万あまりの大軍事集団を擁した。
しかし天正13年(1585)秀吉の紀州攻めにより、大師堂、
大塔など数棟を残して寺は焼け落ちた。
根来寺-daisido1
江戸時代になり紀州徳川家の庇護のもと大門・伝法堂・
常光明真言堂・不動堂など主要な伽藍が復興された。
ほぼ時を同じくして東山天皇より覚鑁上人に「興教大師」の
大師号が下賜された。
根来寺-fudodo2-雨
現在新義真言宗の総本山として、興教大師の御廟を守り、
また境内は中世の佇まいを残し、四季折々の変化に富み
多くの参拝者を楽しませている


noukyou-根来寺18の17 ●根来寺の納経


一口メモ/国宝大塔
根来寺-daito2
高さ40m幅15mの日本最大の多宝塔。解体修理の際に
文明12年(1480)ころから建築が始まり天文16年(1547)頃に
完成したと思われる墨書が部材から発見された。
大師堂とともに秀吉の焼き討ちをまぬがれたもので、秀吉に
攻められた際の火縄銃の弾痕が残っている。

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真言宗十八本山第十六番 長谷寺 

真言宗十八本山第十六番 
奈良大和路の花の御寺
長谷寺(はせでら)
長谷寺-

●宗派/真言宗豊山派総本山 
●本尊/十一面観世音菩薩 ●開基/道明上人

●奈良県桜井市初瀬731-1

正式名称は「豊山神楽院長谷寺
創建は8世紀前半の奈良時代とされるが、詳しい時期等は
不明である。寺伝によると朱鳥元年(686)道明上人が天武
天皇のため「銅板法華説相図」を初瀬山西の岡に安置した
のが始まりとされる。
その後、神亀4年(727)徳道上人が聖武天皇の勅願により、
本尊の十一面観音を東の岡に祀った。
長谷寺-本堂横
天正16年(1588)、豊臣秀吉により根来山を追われた新義
真言宗の門徒が入山し、同派の僧正専誉により真言宗豐
山派が大成された。現在、長谷寺は関係寺院3000ヵ寺を
有する真言宗豊山派の総本山として多くの人々の信仰を
集めている。
長谷寺-本堂コピー
本堂(国宝)は徳川家光の寄進により、慶安3年(1650)に建立。
入母屋造の正堂と礼堂からなる双堂(ならびどう)形式で、
前面に懸造り(舞台造り)の舞台が付く大建造物。
長谷寺-登廊
仁王門から本堂までは399段の登廊(のぼりろう)を上がる。
長谷寺-本道1
本尊の十一面観世音菩薩立像は、徳道上人が造立して以来、
度重なる火災により再造を繰り返してきた。
現在の像は天文7年(1538)大仏師運宗らによって造立された。
いわゆる「長谷式十一面観世音菩薩」と言われ、右手に数珠と
錫杖、左手に水がめを持って台座に立つ。
平成24年の特別拝観は10月20日~12月9日まで。
ご本尊観音様の御足に触れることができる。御足は長年に渡り
参拝者が結縁のために触れて黒光りしており、信仰の蓄積を
物語っている。高さ12m13cmの観音様は仰ぎ見ると本当に大きく、
その迫力と存在感には圧倒される。
長谷寺-五重塔1
広い境内には四季折々の花々が季節ごとに違う表情を醸し出す。
紀貫之が愛おしんだ梅、松尾芭蕉が楽しんだ桜。そしてあまりにも
有名な牡丹。夏には紫陽花が咲き乱れ、秋には本堂の舞台から
濃い色合いの紅葉が視界いっぱいに広がる。そして冬、シンシンと
聞こえるような雪の中に咲く寒牡丹と、一年を通じて境内を彩り
色とりどりの美しさを見せてくれる。


noukyou-長谷寺  ●長谷寺の納経

●一口メモ/長谷寺と西国霊場
長谷寺-法起院
道明上人の草創より三十数年後、長谷寺の修行僧であった
徳道上人は、重い病の中閻魔大王のお告げをうけた。「未だ
死ぬ時ではない。観世音の三十三ヵ所の霊場を作って巡礼を
勧めれば人々は幸せになるだろう」と・・・。
そこで上人は長谷寺に始まる三十三ヵ所の観音霊場を設け、
巡礼を推奨したが、人々は上人を信用せず、やむなく上人は
宝印を摂津中山寺に埋めたという。270年後の永延2年(988)に、
花山法皇がこの宝印を掘り出し、今日の三十三ヵ所を復興したという。

全国の長谷寺
十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る寺院は日本各地に
240寺程存在する。鎌倉の長谷寺などと区別するため「大和
国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することもある。

真言宗十八本山第十五番 西大寺 

真言宗十八本山第十五番
東大寺に対する寺
西大寺(さいだいじ)
西大寺-山門

●宗派/真言律宗総本山 ●本尊/釈迦如来
●開基/常謄・孝謙天皇(勅願)

●奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5

正式名は、勝宝山 四王院 西大寺
孝謙天皇の勅願により天平神護元年(765)に四天王像が
祀られ創建。護国のために四天王像を安置するのは、
「金光明最勝王経」に基づくものである。
この四天王像4体は、今も四天金堂に安置されているが、
像が足元に踏みつけている邪鬼だけが当時の物で像本体は
3体が鎌倉時代、1体が室町時代の物と言われている。
西大寺創建時は、道鏡が大きな力を持っており、西大寺
建立にあたっても道鏡の思想的影響が大きかったものと
推定される。
西大寺-四王金堂
西大寺の寺名は東大寺に対するもので、奈良時代には
薬師金堂弥勒堂・四天堂・十一面堂・東西の五重塔等が
立つ壮大な寺院だった。が平安時代には衰退し、火災や
台風などで多くの堂塔が失われ興福寺の支配下に入っていた。

鎌倉時代に、興正菩薩叡尊(こうしょうぼさつえいそん)
によって再興。室町時代の文亀2年(1502)の火災で大きな
被害を受け、現在の伽藍はすべて江戸時代以降の再建。
西大寺-本堂
明治28年(1895)に真言宗から独立し真言律宗を名乗っている。

※「西大寺末寺帳」には8か国、その他の資料から多くの
国分寺が西大寺の末寺であったと推定できるが、現在
西大寺と関係を持つのは、「伊予国分寺」のみである。


noukyou-西大寺  ●西大寺の納経

●一口メモ/西大寺大茶盛
叡尊が正月の修正会の結願のお礼として献茶をされ、その時に
参拝の民衆にもお茶を振る舞ったことに始まる。
戒律により酒を飲まないので、酒盛りに代わって「茶盛」と称される。
直径30cm以上もある大茶碗にお茶を点て、回し飲みする様子は
ユーモラスで和やかな雰囲気だ。
☆新春大茶盛/1月15日 10:00~16:00
☆春の大茶盛/4月第2日曜日とその前日 9:00~15:30
☆秋の大茶盛/10月第2日曜日 9:00~15:30

真言宗十八本山第十四番 朝護孫子寺 

真言宗十八本山第十四番 
日本で初めて毘沙門天が現れた地!
朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)
朝護孫子寺-本堂

●宗派/信貴山真言宗総本山 ●本尊/毘沙門天
●開基/聖徳太子(伝)

●奈良県生駒郡平群町大字信貴山2280-1

朝護孫子寺は大和国(奈良県)と河内国(大阪府)の境、
奈良県側の信貴山の山腹に位置する。
創建の時期や経緯については判然としない。
朝護孫子寺-聖徳太子
聖徳太子を開基とする伝承によると、太子が物部守屋討伐の
戦勝祈願をしたところ、寅の年・寅の日・寅の刻に毘沙門天が
現れ、その加護によって勝利し、推古2年(594)に毘沙門天を
祀る寺院を創建し、「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付け
たとする。
朝護孫子寺-玉蔵院
九世紀末に本堂を建立し寺を再興した命運上人が、勅命に
より醍醐天皇の病気平癒を毘沙門天に祈願し、見事平癒。
「朝廷を子々孫々にわたり守護せよ」との意味で「朝護
孫子寺」の名を賜る。
余談だが武田信玄も信仰者であったという。
朝護孫子寺-成福院

寺域は広く、特に本堂の舞台からの眺望は素晴らしい!
この本堂は、文禄年中(1592)豊臣秀吉の再建、または慶長
7年(1602)秀頼の再建とする説が有り定かではないらしい。
昭和26年火災で焼失し、同33年に再建された。


noukyou-朝護孫子寺18の14 ●朝護孫子寺の納経

●一口メモ/大福寅
朝護孫子寺-虎
仁王門をくぐり参道を歩いていくと、赤門が見えてくる。
その前に「世界一大福寅」の張り子の虎が現れる。
高さ約3m、長さ約6mのインパクトある姿にはびっくり!
寅の年・寅の日・寅の刻に毘沙門天が現れたという話に
ちなみ境内のいたるところで虎を見かける。この金と銀の
小虎?は、見ているだけで笑みが出てくる。
朝護孫子寺-小虎

白虎
朝護孫子寺-白虎
中国の伝説上の神獣で、東西南北の守護のうち西方を守る。
細長い体の白い虎の形をしている。
遷都1300年祭で信貴山が白虎の位置づけとされた。


真言宗十八本山第十三番 宝山寺 

真言宗十八本山第十三番 
生駒の聖天さん!
宝山寺(ほうざんじ)
宝山寺-鳥居

●宗派/真言律宗大本山 ●本尊/不動明王
●開基/湛海律師(たんかいりっし)

●奈良県生駒市門前町1番1号

宝山寺-山門
寺伝によると、斉明天皇元年(655)に役行者が開いた修験
道場が始まりとされる。当時は都史陀山 大聖無動寺(とし
だざん だいしょうむどうじ)という名であり、空海(弘法大師)
も修行したと伝わる。
宝山寺-本堂
事実上の開山は、江戸時代の延宝6年(1678)に湛海律師が
再興し、歓喜天を祀った時だと言われる。
宝山寺-聖天堂
聖天信仰の霊場として名高く、江戸時代には商売の神として
庶民の信仰を集めた。
皇室や徳川将軍家、郡山藩主柳沢家からの祈願もあり、
以後大いに栄え「生駒山」「生駒の聖天さん」と親しみを込め、
現生利益を求める多くの人々の信仰の寺となった。
宝山寺
1918年には日本最初のケーブルカーが敷設され現在でも
年間約300万人の参拝者が訪れる。


noukyou-宝山寺18の13 ●宝山寺の納経

●一口メモ/宝山寺と近鉄&ケーブルカー
1914年4月に、現在の大阪上本町~奈良間の路線を
開業させた際、生駒山の麓に生駒駅が開設され宝山寺の
参詣者は大幅に増加したといわれる。しかし生駒トンネルの
莫大な開削費用負担や、沿線人口が少なく観光客頼りで
あったために、開通して間もない6月下旬には、給料の
支払いはおろか、翌日に使う切符の印刷費にも困るほどに
財政は窮乏したという。
同社の取締役の一人であった金森又一郎氏は宝山寺に
乗車券10万枚と引き換えに賽銭を貸して頂けないかと
頼み込んだ。当時の管主は寺が生駒に駅を設けることを
請願したためトンネルの建設に苦しんだ。だから当寺にも
責任がある。と快く資金を都合してくれたという話が残っている。
この賽銭は給料にも回されたため、給料袋は重かったという。
宝山寺-ケーブル
今も寺には、金森の書いた借用証書が残っているという。
またケーブルカーが開業した要因の一つには、上記の話に
対する「礼」というものもあったといわれる。



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にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました