admin≫
四国以外の・・・の記事一覧

天岩戸神社 

天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)
神々が出てきそうなパワースポット!?
天岩戸神社-本殿4

西本宮
●主祭神/大日孁尊(おおひるめのみこと)天照大神の別御神名
●御神体/天岩戸(洞窟)
●宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1

岩戸川を挟んで「西本宮」と「東本宮」がある。
伝承では、平安時代にこの地方を治めていた大神太惟基(おおが
だいたこれもと)が弘仁三年(812)に東本宮を建てたとある。
以前は西本宮は「天磐戸神社」、東本宮は「氏社」だったが明治4年
「天岩戸神社」「氏神社」と改称、昭和45年に両社が合併し
現在の天岩戸神社東西両本宮を称するようになった。
一般的に天岩戸神社と呼ばれているのは西本宮です。
天岩戸神社-お旅所
御神体の「天岩戸」は岩戸川を隔てた所にあるが、今は生い茂る
草木に隠れてどんな形だかわからないそうだ。
天岩戸神社-神楽殿2

☆日向神話より 天の岩戸のお話
陽性と正義と平和を象徴する太陽の神、天照大御神は弟の荒ぶる神
須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴ぶりに耐えかねて、岩屋の
奥に隠れてしまい、世は闇に閉ざされてしまった。
困った八百万(やおよろず)の神々が今後の対策を練ったのが、ここ
天安河原(あまのやすがわら)。
神々は相談した結果、岩屋の前で宴会を開き芸達者の天鈿女命
(あめのうずめのみこと)が舞い踊り、それを肴にその周りで
宴会を始めた。その騒ぎに興味を示した天照大御神が岩戸を
少し開いたところを手力雄命(たぢからおのみこと)が岩戸を開け
世に再び光が戻ったという。
と、古事記に書かれた神話の舞台が天安河原と言われている。
天岩戸神社-安河原
天岩戸神社からゆっくり歩いて10分程度。
渓流沿いの歩道は木々の中にあり、清らかな水の音が下界の
騒々しさを忘れさせる。石橋を渡ると本当に別世界のようだ。
渓流の河原に目をやると、石が無数に積まれている光景を
目にする。何か独特の雰囲気がしてくる。
天岩戸神社-祠1
さらに奥に進むと、仰慕窟(ぎょうぼがいわや)がある。間口40m
奥行き30mの大洞窟の中に鳥居、社があり、前にはおびただしい
数の石が積み重ねられ、本当に神々がいそうな雰囲気の場所だ。
日本でも有数のスピリチュアル・パワースポットの一つと言える。

☆一口メモ/ご利益?
この天安河原宮に参詣すると、願い事が成就する。
中風(ちゅうぶ)にかからない、軽症ですむとの信仰があるそうだ。

スポンサーサイト

朝日山 平等院2 

平等院
1万円札にも・・・
平等院-鳳凰
10円玉の鳳凰堂はあまりにも有名だが、実は1万円札の裏面にも
鳳凰が印刷されている。この基になっているのが平等院鳳凰
阿弥陀堂(鳳凰堂)の大棟の南北両端に据えられていた鳳凰1対。
現在は保存上の見地から宝物館に保管されて、復元模像が
大棟に載せられている。

●最勝院
平等院-不動堂
不動堂は不動明王を本尊とする最勝院の本堂。その隣には
源頼政の墓がある。
平等院-墓
治承4年(1180)5月、以仁王(もちひとおう)の令旨を奉じ、
平家打倒を掲げた頼政は、ここ宇治の地で戦いに及び敗れ
平等院で自刃した。毎年5月26日には「頼政忌」の法要が営まれる。

●浄土院
平等院-浄土院
浄土宗の栄久(えいく)上人が、明応年間(15世紀後半)に
平等院修復のために開創したと伝えられている。

鳳翔館(宝物館)には、大和絵風九品来迎図(国宝)、梵鐘(国宝)
鳳凰1対(国宝)など平安時代の文化財が多数展示されている。

朝日山 平等院 

朝日山 平等院(びょうどういん)
10円玉でおなじみの・・・
●宗派/単立(特定の宗派に属さない)
(天台宗の最勝院、浄土宗の浄土院という2つの寺院が共同で
管理している。これは天和元年(1618)寺社奉行の裁定によるもの)
●本尊/阿弥陀如来 ●開基/藤原頼道 ●開山/明尊
●京都府宇治市宇治蓮華116

平等院-鳳凰堂1
時の権力者関白藤原道長が、宇治川西岸にあった左大臣源重信
の別荘をその夫人から譲り受け、道長の子頼道が永承7年(1052)
仏寺に改め平等院とした。
永承7年は末法初年度に当たるとされ、極楽往生を願う浄土信仰が
広く流行していた。その翌年に阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、
華やかさを極めたという。
※末法については「民衆仏教の幕開け」の章に書いてあります。

平等院-鳳凰堂3
またここ宇治の地は「源氏物語」の「宇治十帖」の舞台であり、
平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。平安時代後期の
京都では、平等院以外でも皇族・貴族による大規模寺院の建設が
相次いでいたが、これらの大伽藍は今は現存せず、平安時代に
貴族により建立された寺院で、建物・仏像・壁画・庭園等が残在
するという点で、平等院は唯一の史跡であり、世界遺産にも指定
されている。建武3年(1336)の楠木正成と足利氏の戦いの兵火を
はじめ、度重なる災害により堂塔は廃絶したが、鳳凰堂のみが
奇跡的に災害を免れている。

noukyou-平等院1 noukyou-平等院2
●平等院鳳凰堂のご朱印

※平等院2に続く

醍醐寺 三宝院 

醍醐寺 三宝院(だいごじ さんぽういん)
桃山時代にタイムスリップ?!
●宗派/真言宗醍醐派(修験道当山派本山)
●京都市伏見区醍醐東大路町22
醍醐寺三宝院-大玄関
三宝院は醍醐寺の塔頭であり、永久2年(1115)醍醐寺第14世
座主勝覚僧正により創建。
醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊。
応仁の乱で焼失したが、慶長3年(1598)豊臣秀吉の援助で再興。
その豪華さは、秀吉の力と桃山時代をしのばせる。
醍醐寺三宝院-唐門
(写真は国宝・唐門)

襖絵に彩られた葵の間、勅使の間(重要文化財)に続く表書院は
国宝に指定されている。その奥の純浄観(重要文化財)は秀吉
大観桜宴を催した時、醍醐寺境内に建てられたものを移築したもの。
そして、豪壮雄大な庭園は、秀吉が「醍醐の花見」に際して
自ら基本設計したものであり、今も桃山時代の華やかな雰囲気を
伝えている。残念なことに、建物内に一歩でも入ったなら、写真
撮影はすべて禁止なので紹介することができない。またこの庭は、
日本でも7ヵ所しかない特別史跡・特別名勝になっている。
醍醐寺全体が世界遺産にも指定されている。
醍醐寺三宝院-松
(写真は玄関口の松)

noukyou-三宝院  ●三宝院のご朱印

※一口メモ/藤戸石(ふじとせき)
庭の中心に位置し、阿弥陀三尊を表している。
この石にまつわる話が残っている。
源平合戦で源氏方の佐々木盛綱が、海の浅瀬を漁師から教わり、
浅瀬を渡り平家を追い落としたが、情報が漏れるのをおそれ、
その漁師を切り殺した。それがこの藤戸石の上だったといわれる。
余談だが、この話は能として語り継がれている。
戦乱時、武士に蹂躙された庶民の悲しみを伝える話だが、武家社会
では、一番乗りを果たした盛綱の栄光を伝える話となる。
そして「藤戸石」は天下の名石として語り継がれるようになった。
その後、藤戸石は足利義政の東山殿におかれ、その後室町後期に
実権を握っていた細川管領邸に置かれ、時を経て織田信長が、
二条御所に移設した。豊臣秀吉の時代には、聚楽第に移され、
造営中だった醍醐寺三宝院の主人石とした。
秀吉がこの石を眺めたという席には座れないが、前の廊下に座って
この石を眺めて天下取りの気持ちに少しだけなってみた。

明星山 三室戸寺 

明星山 三室戸寺(みむろとじ)
花の寺と呼ばれる寺!
●宗派/本山修験宗 別格本山 ●開基/光仁天皇(伝)
●本尊/千手観音(秘仏)

●京都府宇治市莵道滋賀谷21
三室戸寺-参道
寺伝によると、宝亀元年(770)、光仁天皇の勅願により
三室戸寺の奥、岩淵より出現されたという千手観音を本尊として
御本尊として創建された。
その後、天皇・貴族等の崇拝を集め、堂宇・伽藍が整えられた。
現在の本堂は文化二年(約180年前)に建立されたもの。
三室戸寺-本堂
約五千坪の大庭園には、四季折々の花々が見ることができ、
4月下旬~5月上旬の「つつじ園」には二万株のつつじが咲き誇り
その規模は関西屈指のものと言われる。
また、6月には一万株のアジサイが咲き乱れる。
本堂前の「蓮(ハス)園」には、6月下旬より8月上旬にかけて
250鉢の色とりどりの蓮が咲き、さながらその光景は極楽浄土の
ようだという。11月ともなると紅葉が始まり、宇治の紅葉の名所と
なっている。今回は少しだけだが紅葉が始まりつつあり、「すべて
紅葉すればきれいだろうなー」っと思いながら・・・。(負け惜しみ)
ただ花の季節には大渋滞が起こるそうです。(これも負け惜しみ?)
三室戸寺-三重塔
他に、鐘楼・三重塔・十八神社社殿等がある。
※ここは、西国観音霊場の第十番札所でもある。

noukyou-三室戸寺 ●三室戸寺のご朱印

●一口メモ/勝運の牛
三室戸寺-牛
牛の口の中にある「玉」を触ると勝ち運がつくという。
反対側には兎の石像があり、穴の中の卵を立てると良いとされる。

(△お好みの文字サイズになるまでクリックしてください)

にこちゃん太王

Author:にこちゃん太王
誰でも行ける!
四国八十八ヵ所霊場巡礼
凸凹カルテットで回りました